会社員という社会人の中の社会人を経て、

マイペースに過ごしていたところを周りに適応するように生きてみたけど、

仕事の忙しさもあって途中でしんどさも感じるようになって、適応することは良いのか?と疑問に思い出した。

そして会社員でなくなって比較的自由な今、周りへの適応を辞めてみて、改めて自分の気持ちに正直に生きてみることを実験していたのだけど

自分に嘘をつかないというのは、社会にいるとなると結構生きずらい。

 

物事には解釈しか存在しないと思う。

例えば新しい環境で新しい人と会って疲れる。

今の私は自分に正直に、疲れたもう次は行きたくないかなと思う。

でもそこに解釈をいれれば「でもこういう良いところはあったよね」とか、疲れ8割の中にほんの少し混じった良いところに目を向けることもできる。

実は悪かった出来事も解釈次第で良かった出来事に変えることができる。

でもそれは嘘をつくみたいで嫌だ、と思っている。

その時どんなに良い気分になれたとしても、自分に嘘をつくことは真実じゃないじゃん。

じゃあ仮に、嘘をついて疲れた出来事を楽しかったと解釈して、それを続け続けたとしても多分そのうち支障が出る。

「解釈はプラスとしつつ気分はコントロールして、次が起きないよう対策する」というのがスマートなんだろう。

なんだかダブルスタンダードで正直な私にはピンとこないけど、

そもそも脳というのは騙されるもので、何が本当かなんて存在しないので別にそれが真実と言えば真実になる。

あとネガティブな私は多少なりとも嘘でもポジティブに考えた方が良いとも思う。

 

会社員に時にやっていた、「自分の本心と離れた言葉を言う」のは今の私からすれば不誠実なんだけど結構楽しかった。

本心と全然違う言葉をペラペラ話していた時の自分は社交的で、場への所属感が気持ち良かった。

自分の本心は一旦置いといて、相手が喜びそうなことを反応で言うみたいなのは割と得意かもしれなかった。

感受性が強く外の影響を受けやすいというのはしんどいことだけど、逆手に取ると相手が言ってほしい言葉が分かる能力でもある。

むしろ本心とかいちいち考えなくて済むから、自分にとっても楽かもしれない。

会社員で疲れ果てたのは、自分らしく生きれないというよりも単に業務量が多くてストレスだったのが原因に思える。

(私は最近ストレスの原因をはき違えてるのではと思うことが良くある。ストレスは案外、忙しさとか物理的な環境要因(狭い、うるさい、汚いみたいな)そういうのであって、心理的な部分ではないのかもしれないということ。そのことについてまた別で書きたいけど)

 

というわけで、方向転換をしていきたい。

自分に正直にやっていってる友人Aもいれば、表面的な言葉とか行動は嘘だけど目的に向かってひたむきな友人Bもいる。

どちらもかっこいい。AとBは全然タイプは違うけど、自分のことをやり通すというところでは似ている。

今まで友人Aみたいなのを目指してみたのだけど、B的にやってみたらどうだろう?

本を読んだり映画を見たりひとりでおこなう活動に対してはA的なモードとして、

社会で生きていく時には解釈を変えるB的なモードみたいなことをすれば、

自分の感性を保ちつつ、社会でもうまくやっていけるのでは?

多くの人がそういうことをしてそうだし、私もその部分はあるのだけど。

 

そういうわけで1年弱の実験期間を経て、自分に正直に生きるというのはネガティブさと頭の回転がそう速くない私にとっては社会と折りあっていくのがなかなか難しいと分かったので

次また方向転換してみることにした。まずは解釈、その次に言葉。

自分の本心なんてモードBの状況では一旦外に置いておいて問題ないのだと。

本心を傍に置いておくことに躊躇しなくて良ければ、言葉はスラスラと出てくるし解釈だって身軽だし。