今夜は、大衆作家・山本周五郎の逸話に関した新聞の記事をご紹介します。

 僕も周五郎作品は大好きですが、今は主にYou Tubeで朗読を聴くぐらいですが。

 文学賞と名の付くものはことごとく辞退した逸話は有名ですが、あれほど人間の心理描写に卓越した人が、人嫌いで付き合いを極端に制限し、交友関係も狭かったことは意外でした。賞を固辞したその理由については「つねづね各社の編集部や読者や批評家諸氏から過分な『賞』を頂いている」からと書いていたとも。

 

 

「短編集『小説 日本婦道記』は、昭和18年上期の直木賞に推されながら、受賞を固辞した作品。

収録作『松の花』は、紀州徳川家の年寄役が、妻の死後、それまで気付かなかった“内助の功“を思い知り、深い感慨を覚えるという物語だ。

 藩の記録として女性の伝記編纂を担う主人公が、最後に、こうつぶやく。世間にはもっとおおくの頌(ほ)むべき婦人たちがいる。その人々は誰にも知られず、それとかたちに遺ることもしないが、柱を支える土台石のように、蔭にかくれて終わることのない努力に生涯をささげている。

     ー中略ー

日の当たらない場所で、人知れず苦労を重ねる一人の存在を絶対に忘れてはならない」と。 

 

 

(1903-1967)山梨県生れ。横浜市の西前小学校卒業後、東京木挽町の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。1926年「須磨寺附近」が「文藝春秋」に掲載され、文壇出世作となった。『日本婦道記』が1943年上期の直木賞に推されたが、受賞を固辞。以後、「柳橋物語」「寝ぼけ署長」「栄花物語」「樅ノ木は残った」「赤ひげ診療譚」「五瓣の椿」「青べか物語」「虚空遍歴」「季節のない街」「さぶ」「ながい坂」と死の直前まで途切れなく傑作を発表し続けた。

          (新潮社、著者プロフィール)より。  

 

 

      山本周五郎