今夜は富士山の名画を数多く描いた、日本画の巨匠『横山大観』に関した新聞の記事からご紹介します。

 

 

「東京美術学校(当時)への赴任中、恩師・岡倉天心が讒言(ざんげん)により排斥された。義憤に燃えた大観は師を追って辞職し、天心が創立した日本美術院に参加した。しかし、院は財政難に。離れていく者も続出した。やむなく院は茨城の五浦(いづら)に移動。世間からは都落ちと嘲笑された。

 その中で、大観は輪郭線を描かず色をぼかして重ねる『朦朧体(もうろうたい)』を確立。だが、猛烈な非難を浴びた。絵は全く売れない。魚を釣って飢えをしのいだ。家も焼失。肉親や親友が相次いで他界し、恩師・天心も亡くなった。それでも大観は芸術への情熱を燃やし続け、作品を次々と発表。評価は高まり、画壇の重鎮と仰がれるようになった。

   ー中略ー

 苦は避けるべきものではなく、むしろ、生命を飾る宝である。降り積もる雪があるからこそ、富士は美しく化粧する。心が負けない限り、苦難は自身を荘厳し、人生を輝かせる宝となることを忘れまい」と、ありました。 

 

 

 

        横山大観の富士図