Hello!リサです。
見に来てくれてありがとうございます!
本日は優先順位のお話です。
優しい皆さんはついつい自分より周りを優先してしまうのではないでしょうか?
だって目の前で困っているから。
だって私がやらないと誰もやらないから。
だって私がやった方が手っ取り早いから。
癖のように、反射のように、思わず人を優先してしまうかもしれません。
自分よりみんなが幸せならいいやと思っていますか?
または、みんなの為を思って自分一人が頑張ればいいやと思っていますか?
これが本当は「みんなの為に1ミリもならない」としても、それでもあなたはこれを続けますか?
あなたはどのような時に「みんなの為」に頑張るでしょうか?
極端な話で申し訳ないのですが、あなた自身体調不良でフラフラな時はおそらく「みんなの為」を考えられないことでしょう。
そうするとまずは自分に余裕がある時ですかね?少なくとも自分がフラフラでは無い位には大丈夫な時ですよね笑
自分の余裕がある時にみんなの為にやってみた。
では、それで何の感謝もされなかったらどうでしょう?
人によっては若干イラッとくる方もいるかもしれませんね笑
それはそれで自分が好きでやったから…となる方もいることでしょう。
では、感謝されないどころか文句を言われたらどうでしょう?余計なことをするな!とキレられるわけです。
多くの人がイラッとくるのではないでしょうか?
せっかくやったのに!良かれと思ってやってあげたのに!と。
誘導尋問のような真似をしてごめんなさい。
しかしほとんどの方がこう思うハズです。
最初は「みんなの為」に純粋な気持ちでやることかもしれません。
ですがその後の状況次第でやったことを後悔したり怒ったりするのならば、「みんなの為」になどやるべきではありません。
少々ややこしい言い方ですが、それが「自分の為」に「みんなの為」やりたいならやるべきです。
それは絶対的に「自分の為」ですからね。
しかし、本当はやりたくない自分が「みんなの為」にしょうがなく自分よりみんなを優先したところで良いことは何もありません。
だってあなたは後悔するでしょう?怒るでしょう?やりたくなかったでしょう?
その矛先はどこに行くかというと、まさに「みんな」です。
「みんな」は後からあなたがやりたくなかったことを知るのです。
その時言ってくれれば良かったのに!と思うことでしょう。
あなたからすれば、その時そんなこと言える状況になかったの!と思うことでしょう。
これでは誰も幸せになりません。
「みんなの為」に自分を後回しにすることは長い目で見ると全く「みんなの為」にならないのです。
自分を押し殺して周りを優先しても誰も褒めてくれません。
自分を優先して好き勝手に生きても法を犯すわけでもありません。
むしろ自分を優先して生きると、どんどん自分に余裕が生まれることを感じられるでしょう。自分が満たされるからです。
そうすると自ずと満ちて溢れた余った分を他人に分け与えることが出来るようになります。
分け与えると書きましたが、しようと思わなくても自然とそうなっていきます。
勝手に自然に、他人の分も満ちてしまうのです。
まずは自分を最優先しましょう。それがイコールみんなの為になるのです。
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