二十三 消息と帰還
医者溜まりに出仕すれば桑原殿だ。
「仙台からの便りに、ご無事に堀田様(堀田正敦)が(蝦夷地)松前から仙台にお戻りになったとの知らせじゃ。
倅殿からも何ぞ知らせが有ったかの?」
「否、(便りが)御座らん」
「便り無きば元気な証拠ともいうでの。
蝦夷(地)は、もう冬支度じゃろ。否、もう冬かの。
(津軽)海峡を渡るにも、海が荒れぬうちにと考えればこの時期が限界じゃろ。
侯が仙台に御無事に戻って来たと聞こえしは祝着も(侯が)遭難しておったらば、それこそ話にもならん」
出仕すればこそ知り得た情報だ。帰りも行き同様に何班かに分かれての帰藩であろう。桑原殿が顔を綻ばせて言うは、蝦夷行きに同行した御子息(桑原如則)から知らせが届きもしたからであろう。
侯がご無事に戻ったとて、玄幹もまた一緒に無事に仙台まで辿りついたとは限らない。蝦夷の守りがためにと、北の大地に越冬を仰せ付かった者とて居よう。
親なれば、倅の元気な顔や姿を見ずば安心とはいかぬ。仙台に戻れたのであれば、身体は後になっても良い。玄幹よ、先ずは便りを寄越せと思いもする。
十月(陽暦で十一月)ともなればこの江戸の街とて寒い。まだこの冬は霜を見ておらぬが、肩をすぼめて歩くは吾ばかりではない。
今朝に、今年の蘭学者の宴の用意は如何様にしますかと聞く末吉だ。確かににこの二、三年は昌永や玄幹の意見も入れて準備もし開催してきた。。
白髪の増えた末吉を見るに、吾の頭をも思う。思わず薄くもなった頭に手が動いた。
「今年一年に翻訳がらみで本を出版した方々の名を先ずは書き出して見よう。
それからに、これはと思う御方に当たってみる。
何時もの年と変わらぬ手順を踏むかの」
昌永を思い出しながらに応えた。単なる宴(宴会)よりも、この機会を己の書き表したもの等の発表の場にする、語れる機会を与える。それなれば他の皆からも意見が出る。それが皆々の次の仕事にも意欲が湧きましょう、と昌永だった。その昌永はもう居ない。
昌永よ、其方の提案こそが活きたオランダ正月ぞ、と改めて思う。今年は計算上(文化四年)十二月四日が一八〇一年一月一日、西洋の元旦か。ハッピー・ニューイヤーだ。
「本当?間違いない。聞き間違いでしたではタダで済まないからね」
使いから戻ったらしい佐助に、珍しく声を高くしているお京だ。佐助の側で小春までもが下を向いてる。タホはと言えば夕餉の準備が忙しいのか、炊事場で後ろ向きのままだ。表情が分からない。
「如何した。何があった?」
途端に顔を上げた佐助だ。
「旦那様。明日に堀田様がこの江戸(日本橋)に入るど聞きますた。
今に千住の宿にあるどが。身を整えているど聞いたべ(お聞きしました)。
何時も行ってる薬屋の手代の話だども(で御座いますが)番頭さんが横がら、大槻先生もホッとするだろう、安心すんべ(するだろう)との物言いですた」
「真か、でかした佐助」
思わず声が出た。
堀田様御一行の中に倅(玄幹)が居おるのか如何か分らぬに、また、何が出かしたと言う事も無いのに思わず声にした。
堀田様御一行は十月十五日(文化四年。一八〇七年十一月十四日)に江戸に戻ってきた。今に上屋敷に居る藩のお歴々に混じって、吾もまた同僚等と共に御門前に並んで一行をお迎えした。
行きと同様に少人数だった故、桑原殿が倅も玄幹も列の中に簡単に見つけることが出来た。どの顔も、秋も過ぎたに陽に焼けた顔のままだ。それが余計に晴れがましくも見えた。
夕になれば改めて倅の元気な顔も姿も見ることが出来よう。タホ(妻)に言い付けもした今日の喜びの酒肴の料理が準備出来ていようかとそれさえも気になる。
親バカと言われようが嬉しい事は嬉しいのだ。五三も六(幼名が六次郎、大槻清崇、後の大槻磐渓)も兄の帰還を喜びもしよう。