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1965年8月6日生。奇しくも8月6は、奥菜恵と同じ。




四歳の頃、相撲好きである父親の指導で、相撲を始める。




和歌山県立新宮高校へ入学した時は、186㎝160㎏と恵まれた体格で、1~3年まで、3年連続『全国高等学校相撲選手権大会』で優勝を果たし、史上初となる高校生での『アマチュア横綱』を、獲得した。





さらに『全日本相撲選手権大会』でも優勝し、進学した日本大学相撲部でも、1年~3年連続で『全国学生相撲選手権大会』で優勝した!。





大学卒業直前に、『出羽海部屋』に入門。





1988年1月場所、幕下付出で初土俵。初土俵から、7場所連続で勝ち越し。




1989年3月場所新十両へ昇進。11勝4敗で『十両優勝』



※ここまでは、同じ出羽海部屋であり、御嶽海と被るところあり。






1989年7月場所新入幕





【不運の久島海】


学生時代の成績から、大いに将来を期待されたが、腰が高く脇が甘いために、受け身になってしまい、強引に相手を引っ張り込んで小手に振る取り口だったため、負傷が多く、三役の昇進は果たせなかった。









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『1991年名古屋場所、モンスターさんのお店にて』舞ノ海の写真がない?


この時は、200㎏越えてたねッ!?。





1995年5月場所十両陥落



【不運の久島海】


1996年1月場所、東十両筆頭で8勝7敗と、勝ち越していながら、番付に及んでは、その時の地位に据え置かれた。




【不運の久島海】


同年3月場所では、東十両2枚目で、10勝5敗と大きく勝ち越したものの、それでも再入幕を果たせなかった!。






1998年3月場所、12勝3敗で優勝決定戦に望み、3度目の『十両優勝』






【不運の久島海】


同年11月場所、幕下へ陥落。



平成以降で、十両6枚目以上で、4勝以上挙げながらも、幕下へ陥落した力士は、久島海だけである。





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【幸運の久島海】


1998年、よって11月場所直前、現役引退を表明し、『準年寄・久島海』を襲名して、出羽の海部屋の部屋付き親方となった!。




1999年に、『年寄・田子ノ浦』を襲名し




2000年1月場所終了後に、出羽海部屋から分家独立して、『田子ノ浦部屋』を創設した!。






【悲運の久島海】


2003年急性心筋梗塞で倒れる。




2006年からは、勝負審判を務める。






【悲運の久島海】


2012年2月13日、虚血性心不全で、46歳の若さで死去。






ご冥福を祈ります!。