最近のブログに、長い休み…好きなことだけして過ごそう、そう思っていました。

 

何もしないって時間、意外と本当の私に出会う。

 

世間体のためにやっていたと思っていたことが、実はそうしたいと思っていたこと。

 

好かれたいと思っていたことが、実は好きな人の喜ぶ顔を見て私が幸せを感じていた

だけだったこと。

 

運気が良くなると思ってやっていたことは、ただ綺麗好きだったと知ったこと。

 

人に自慢したいと思ってやっていたと感じていたことは、ただ好きなだけだったこと。

 

 

こんな文章書いてみたら、大好きだった「花の子ルンルン」を思い出してしまいました。

 

子供の頃に見ていたので詳細は定かではありませんが…

 

私にとって印象的だったのは、「必死に探していた花は、自宅の庭に咲いた」部分。

 

主人公が誰かの為に探していた花。

 

沢山の人に出会い、苦労したり、辛い思い、悲しい思い、悔しい思い、その中で

沢山の人の優しさや思いやりを感じて探していた花は…見つからず。

 

旅している間は見つからなかった、けれども花を探したことには間違いはなかったと思っていると、庭に咲く、探しても見つからなかった七色の花を見つける。

 

子供ながらに「苦労して、色んなことを知って、成長したから庭に七色の花が咲いたんだ」と。

 

まるで、今の私のようです。

 

両親にしつけを受けたから出来ている部分は、私がそうしたいと思っていたから出来た。

 

ツインレイの概念に縛られていたのだと愕然としました。

 

私にあったのは、恐怖心と投影からくる思い込み。

 

やっぱり、時間をかけて探し続けたことで得られたこと。

 

私は、やっぱり好きな人の為に生きていくことが私の幸せ。

 

誰かを喜ばせたいのではなくて、彼を喜ばせたい。

 

誰かの為に尽くしたいのではなくて、彼に尽くしたい。

 

誰かのために休息が欲しいのではなくて、彼の為に休息が欲しい。

 

今までの私は、私らしかった。

 

違っていたのは、相手だけだった。

 

私に見る目がなかったのか、成長するためだったのか、ツインの彼の良さに気づくためだったのか、どれもかもしれない。

 

これまでのことがあったから、私は「愛し、愛される人を探す」ようになった。

 

私は、「彼となら大丈夫」そう思えるようになった。

 

彼と一緒なら、「私はもっと私らしくなれる」そう感じてます。

 

あんなに不安に感じていたのに…これも奇跡。です。

 

※「花の子ルンルン」で最終的には自宅の庭に探していた七色の花が咲いたと書きました。

  私の勝手な理想ですが…

  実は最初から自宅の庭に咲いていたのかなと…

  ただ、それに気づかなかった、見えなかったのではないかって。

  成長したからこそ、気づき見えるようになった…そう私は勝手に解釈しています。