母が他界してから「あの時、もっと私が強く言っていれば…」という後悔がありました。
ツインレイに出会っている人って、自分のことだけでなく人の何かを察知したり、
予知というか不安というか何かが分かる人だと思います。
その察知するものは、相手の危険を察知するかのような…。
私は母に一度だけ「病院に行った方がいいのかな?」と聞かれたことがあります。
直感で「行った方がいい」と思った瞬間、迷った瞬間、母は「今、これをやりたい」と言ったのですが、母が私に意志を伝えたのは初めてでした。
だから私は思ったことを言えずじまい。
結果、母は手遅れとなりました。
あの時、私がハッキリと言えば良かった、そうすれば母は長生きできたのではないか?
という後悔がつきまとっていました。
その、「言えば良かった」という後悔が今も尚、現実となって現れています。
今になると分かるのです、母は聞きたくなかったんだと。
母は、今やりたいことを優先したかった、その気持ちを私は無意識に理解していた、
それだけだった。
そして、母がわざわざ聞いてきたのも私の予知を知っていたからではないこと。
母の気持ちを優先することで、後に私が苦労することもその時も一人になることも
分かっていた、だから私に聞いてきたのだと。
今は、後悔ではなく、言わなくて良かったと。
私は高校生の頃からずっと、相手の意志を尊重していただけだった。
言えない弱い私ではなくて、相手の強い気持ちを優先しただけだった。
それが悪いことでもない。
人は経験しなければ分からないこともあるし、きっと私が言えていたとしても母は、
やりたいことを優先していたと思う。
私は何時でも、どんな時でも、常に相手の魂の成長だけを見てきたのです。
それがどんなに苦しいか、それがどんなに辛いか、それがどんなに誤解されるか、
誰も分からない。
何時も、私は誤解されてばかり。
細かいことを言わないから余計ですけど。
私は言えないわけではないし、言わないわけでもない。
私は相手の成長と私の成長を見届けているだけ。
自然の力に任せているだけ。
私はもっと私を信じてあげたい。