幼少期に母から受けていたことは、母の知人の家族によって解消されました。
私が分かっていて黙っていたことも、その時に母は知ったのです。
何故私が神に委ねていたのか…
それは、母もまた辛い苦しい立場にあったということ。
ただ闇雲に憂さ晴らしで私に対してしていたわけではなかったからです。
それからの母は変わりました。
ただ、私はそれ以来、母親に頼ることはなかったと思います。
インディゴという言葉は知らなくても、私が理由をもって先々を見越して行動していたことを
私が中学生の頃になって母は知ったのです。
「○○ちゃんは、分かっていてそうしているのね。そうじゃないのかと思った」と…。
この問題は、なかなか私の中で解消されずにいました。
今こうしている間も清々しく感じます。
この問題は、母親との関係だけではなくて私が何者であるかを知るために重要だったのです。
それは、ツインの彼と出会ったこと、彼も同じだということを知る必要があったのです。
彼と私がここまで同じだとは、つい最近まで気づかないでいました。
だから、どうしても彼と生きる人生に自信が持てなかったのです。
どこかで何かが違う…
やっと彼と一緒にいても大丈夫と自信が持てたのです。
これは、本当に最近です。
ツインの彼とのことで何かあるとすれば、彼のことではなくて自分を知ることで解決の
糸口が見つかります。
そう、ツインの関連ブログで書かれている通り、相手ではなく自分なんです。
エゴや嫉妬やトラウマや過去性や性問題は、ただのきっかけに過ぎない…
そんなこともあります。
今になれば…知人は言ってましたね、「独特なツインね」と。
インディゴのツインだからだったのですね…
これも、自分自身で苦労して見つけた方が気づいた瞬間から自信に繋がります。