日本テレビで4時間ほどの

大型歌番組を放送していました。

 

お目当ての楽しみな歌手が登場予定で

聴きたい歌があって、

 

…という訳ではなく幾つかの場面を

チラッと見かけた程度です。

 

昔を引き合いに出して、

文句を言ったり今を批判したりする事は、

愚の骨頂。ナンセンス。

思考が柔軟ではなく凝り固まっていて

説得力からかけ離れていると承知して…

 

以下、僕個人の感想です。

 

 

 

・番組作りに苦労している

・歌が弱ってしまって久しい

 

 

日本テレビの女子アナ数名が、この番組で取り上げた何名かの歌手のデビューにまつわる再現ドラマの主役を演じてました(森昌子やSPEEDなど)。

 

テロップには “○○アナが全力の演技” よく覚えていませんが、こんな感じの文言。

 

 

また、過去映像で

中森明菜(「飾りじゃないのよ涙は」)

チェッカーズ(「ジュリアに傷心」)

 

この二組に言えたのは、

映像が仮になくとも

歌、声、で惹き付けられる(可能の意味)

力があった、強みがあった。

歌うのが職業だった。

人生を捧げていた。…ような濃さがあった。

…ように結果論ですが歌唱から感じました。

 

生歌唱の映像があれば尚良ろし

…という歴史的事実(笑) 

※事実と感想がコラボしちゃってます。

 

映像を見ながら気がついた事。

歌いながら…

中森明菜の流れるような滑らかな手の動き、

フミヤ、高杢、マサハルのリズム感の良さ。

でも、これは、これが、

あくまで付録だった時代の話。

 

 

話が逸れます。(この番組全体の雰囲気や趣旨に則っていません)

 

“くちぱく” への擁護でこんな解説を

読んだことがあります。

 

あんな激しいダンスして歌えるわけがない、

批判する奴はやってみろ

 

(擁護と書いたのは僕の譲歩ですw)

 

歌を飾りに、演出効果に用いる人たちもいる。

 

歌がいつでもどこでも誰でも一番ではない。

好みの物差しは万能ではない。

昔は昔、人は人、今は今。

 

 

 

話を戻しまして。

森昌子の再現ドラマの時。

 

オーディション番組「スター誕生」で素人時代の本人歌唱場面に切り替わる。画面からちょうど目を離した瞬間だったんですが…(ごめんなさい)。

 

イントロが終わり森田昌子(本名)という少女が歌い始める。歌声が耳に届く。

 

聞こえてくるや否や、僕の首が意図せずTVの画面へ高速で引っ張られました(笑)

 

これが歌い手の力なんだと思った瞬間でした。

 

 

 

 

 

僕は夕刊を読まない

ニュースが遅すぎるから

 

僕はCDを聴かない

リズムに騙されるから

 

でも僕は怒りはしない

昔なら腹が立つ出来事も

 

まァ 取り敢えずと最近は

まァ 取り敢えずと

それはそれ

 

レゲエほど重くなく

多分自分を許し始めてる

自分を許し始めてる

 

さて もうじき出番です

さて も一度 歌わなきゃ

 

 

君は小説を読まない

その癖 訳知り顔で

 

さして親しくもないのに

馴れ馴れしい口をきく

 

でも僕は呆れはしない

若い頃 許せない失礼も

 

まァ 取り敢えずと最近は

まァ 取り敢えずと人は人

 

ロックほど柔じゃなく

人を半分 信じかけている

 

ラップほど軽くなく

多分 人生 愛し始めてる

 

さて もうじき出番です

さて も一度 歌わなきゃ

 

 

「まァ 取り敢えず」 吉田拓郎

1996年8月21日発表

アルバム『感度良好 波高し』 最終曲

作詞:阿木燿子 作曲:吉田拓郎 編曲:瀬尾一三

 

拓郎さんは1946年4月5日生まれ。

50歳の時の歌。

 

詞がないとイメージしづらい

…と作曲に関して拓郎さんは言ってます。

 

メロディからも当時の拓郎さんの

穏やかな心境が窺えます。

本稿内容とこの歌は乖離していますが

思い出しました。

 

 

この歌で当時の大物プロデューサーを思い出してしまうのは…僕だけかもしれないです。

 

ちなみに小室哲哉も、欅坂46もそこそこ好きな曲はありますしCDも買ってます(-_-;)ニヤリ