わりと人生の早い段階で、会話中にそれらの言葉がそういう風に使われる場面に居合わせると「うううむ」と思っていた。 救いだったのは、仲のいい友達や好きな人からは決して発せられなかったことだ。 直感的に生理的に単純に、誰かが死んでしまうことが怖くて怖くて嫌だった、としか説明できない。 この感覚は小学生以来のもので今も変わらない。

 

 

 

 

プロ野球の楽天の公式Twitterに成績不振の選手に向けて「しね」という書き込みがあり、対策を講じたとのニュースを知りました。

 

 

そこから付随して思い出したことを幾つか列挙します。その後に意見を述べます。

 

 

ある女性歌手。コンサート中に喉の調子が芳しくなく思うように声が出せなくなり、泣く泣く中止。その公演後、自身のTwitterにてファンへ向けて「ごめんなさい、悔しくて死にそうです」

 

 

実力・実績ともに異次元のトップアスリート。「負けは死も同然ですから」

 

 

あるお笑いの方。ドラマへの出演もあり役者としての評価も低くない。 三児のパパでもあり、好感度は高いと思われる。 あぁ、しまった…この人は結構好きだ…冒頭の記述に反してしまう…。 レギュラー番組、あるアイドルグループの女の子にイジラレタ際のお約束の返しの言葉「ころすぞ」

 

 

秘書への暴言・暴行で話題となった女性議員。会見にて「生きているのが恥ずかしい、死んだ方がましではないかと思ったこともありました 」

 

 

 

これは、知らない人は居ないであろうと思われる事例。

ある匿名のブログより

何なんだよ日本。

一億総活躍社会じゃねーのかよ。

昨日見事に保育園落ちたわ。

どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。

子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?

保育園落ちた日本死ね!!!より 2016/02/15)

 

 

 

 

 

言葉は辞書的な意味だけでなく、使われ方で伝わり方も変わってくるのは重々承知しています。正確には受け手の価値観で意味が上下左右に振れます。  発したその人にとっては、その時その場面では、そう言うしかなかった、そう言うことで気持ちを表したり・場を和ませたり・怒りを露わにしたりする手っ取り早い方法だったのだとも理解します。 だから、問題があるとすれば受け手のぼくに、です。 ただし! 楽天の例は勿論除外せねばなりません。特定の個人を傷つける幼稚な悪意に塗れた使い方ですので。

 

 

ただなあ…なんですが…

 

 

「悔しくて死ぬ」なんてことは絶対にない。事実彼女は現在生きている。 多くの作詞も手掛けて来た彼女にしては、あまりに安直安易な表現。 “死にそう” …申し訳ないけれども、嘘を言わないで欲しい。 それくらい悔しいという事なのでしょうが、、、あなたは本当に生死の境に立ったことがあっての言葉の選択だったのだろうか、、と生真面目、ばかまじめに嫌味に責めたくなってしまう。

 

 

「負けは死も同然」。 全生活を懸けている、力の限り取り組んでいる、という事を言いたかったのかもしれません…。←まさにこんな方向で賛辞するファン多数…これには、、苦笑、冷笑してしまうのが、ぼくという人間です。 支持する側の方々からすれば、僻み妬みと受け取られると承知します。 が、、、「負けて死ぬ」なんてことは絶対に無い。その負けで、誰かに不意に命を奪われる暴挙・不幸には至っていないし・自ら命を断つ(絶つ)なんてことも万が一にもしちゃいない。 だからやっぱり… 他を寄せ付けない異次元の演技同様に、発言も、ぼくごときに突っ込まれないくらいの高みを発揮して欲しかった。 そうしなければならない義務はこれっぽちも砂粒ほども勿論ありませんが。  …でも彼は東日本大震災の被災者だ。自他の命の重さを覚えていての言葉の選択だったのか? と責めたくなる。

 

 

親しみやすい風貌、イジリを柔軟に受け止める包容力、よきパパをイメージさせるあたたかさ、、、、ゆえに、そこからの、、、強くないキャラが拙さを自ら意図して意識して演出して反撃に転じる、悪口を笑いに転嫁しようと、予め双方で用意した着地点へ落ち着く為に、合意の元での「ころすぞ」オチ。  …「ころすぞ」発言の時、出演者たちは和んでいる-全員かどうかは不明- けれども、言葉が強烈すぎる、残忍すぎる。 手放しで笑えない。 他に言葉はなかったか

 

 

「生きているのが恥ずかしい、死んだ方がましではないかと思ったこともありました」。 生きているのがみっともなくて(吉田拓郎「おきざりにした悲しみは」より拝借 作詞:岡本おさみ)恥ずかしく苛まれる瞬間が訪れることはままあるでしょう。 それくらいのことをこの人は、しでかしてしまった。 けれども 死んだ方がまし なんてことは断じてない。 世間を敵にまわさざるを得ないくらいの非難を受けるに十分な所業を犯したとはいえ、あなたが死んで深く悲しむ人がいることまで失念してはならない。 事実、あなたは死んでいない。今、とあるバラエティー番組に出ているじゃないか。軽々しく 死んだ方がまし だなんて公に発言するもんじゃない。

 

 

 

「日本死ね」 本当に、ほんとうに、ホントーに申し訳ないが、あなたのような母親の元に生まれてきた子が不憫でならない。それでもあなたを愛する子が不憫でならない。生活苦を理由になんかして怒りを我が子に向けた虐待になんかどうかどうか至らないで欲しいと願ってしまう。 この発言に乗じて水を得た魚のように活き活きとしていた側の国会議員(たち)の感性を疑う。 ※政権与党の肩を持つ為の意見ではありません。

 

 

とにかくぼくは、それら言葉を発する時のその人の迂闊と思いたくなる心根に疑問を呈したくなってしまう。 もっと言ってしまえば…

 

 

楽天の公式Twitterに「しね」と書き込んだ人物の 知性・品性の無さ、感性の野蛮さ、未熟さを軽蔑し嫌悪する。

 

 

 

 

・Hold your tongue  ホールド・ユア・タン / 舌を固定しろ≒黙れ

・命令文, or   / さもないと

・you shall die  ※shall は話者の強い意志を表す。

ゆえにyou shall die は「あなたは死ぬ」ではない。

 

脅迫する意図がないままに「しね」と書き込む人間がいる。意味なんか考えちゃいない。

 

 

辛辣な言葉に頼らずに、自分の気持ちを伝えられるよう自分を見つめ点検・精査すべきだ。

 

 

“たとえ”であっても「死ぬ」「殺す」を使うのが、ぼくは、どうしてもどうしても嫌だ。聞くのも嫌だ。