〇 化野念仏寺
3月20日の彼岸中日、嵯峨野方面。快晴だったのは前回に書きましたが、おまけに観光客も少なく、場所によっては貸切みたいなもんでしたね^^
清凉寺。貸切ですw
前回と同じく、河津桜と清凉寺本堂
嵯峨野を進んでいきます。少しは観光客とすれ違うんですが、上の写真のように撮るのは簡単。
ダラ~ w
向かったのはここ、化野念仏寺。約6年ぶりの訪問でしたが、当時は五輪塔には興味なく、改めて行った次第。
化野は古来からの葬地として知られる場所。境内には8000を超える石仏や石塔がありますが、これらは近辺に散乱埋没していたのを、明治中期に集めたものだそうで。
五輪塔と、苔の絨毯。苔の絨毯は やっぱり日本って感じがしますねえ
伽藍の中心には、西院の河原と呼ばれる場所が。中央に十三重石塔を配置し、それに向き合う形で石仏を配置。そして周囲を五輪塔が取り囲みます。
これも明治時代の配置だそうですが、その意味はともかく、なかなか壮観で雰囲気ありますね。
墓地なのに春の晴天によって、素晴しく陽気な雰囲気でした
晴天なら、駐車場の看板も美しい そしてこの後、トップオブキョウトに向かいました。
因みに上の写真は 清凉寺の南側にある駐車場。車で嵯峨野方面に行くならここが安く、オススメです。
〇 ブログ休暇のお知らせ
3月28日~4月11日までの2週間、ブログ休暇?をいただこうと思います。仕事に集中したい面もありますし。なお、再開は多少前後するかもしれません。
その後の投稿予定は、宝篋印塔→姫路城→浄土寺浄土堂です。予定なので、また変わるかもしれませんがw(^▽^;)
◎ 石造五輪塔あれこれ、その3(興味のない人は、スルーしてください^^;)
〇 簡略な五輪塔
神宮寺墓地(八尾市)☆
ところで、先ほどの化野念仏寺もそうですが、大量の小さな五輪塔が存在したり、発掘されたりすれば、そこは中世に遡る墓地があった場所と考えていいようです。
上の神宮寺墓地にも、小さな五輪塔が多くありました。
これらですね。1つの石で作られてるのもあり、一石五輪塔の名前で呼ばれます。形や大きさが似通っており、規格化の進行を窺わせますね。
室町時代も後半位になると、それまでの上流層だけでなく、武士階級や力を付けた一般百姓などにも石塔を造立する文化が広まったとか。
その結果、五輪塔の簡略化・小型化・規格化などが進んだようです。
ただ、戒名とか色々文字を刻むのに適さないためか、小型の五輪塔や一石五輪塔は江戸期は少ないようですね。
なので、これらが大量に出土するのは、中世の墓があった場所だと言えるでしょう。
舟形五輪塔(体性院・奈良市)☆
それ以外にも、舟形の石造板碑に五輪塔を浮き彫り、ないしは線刻した舟形五輪塔とか、地輪が伸びた長足五輪塔(石造五輪卒塔婆)とかありますが、細かい説明は省略。
ただ、舟形五輪塔も簡略化の1つで、戦国~江戸前期に流行したようです。
往生院長足五輪塔(生駒市・鎌倉時代後期)☆
〇 それ以外の気になる五輪塔
無量寺五輪塔(生駒市、1304年)☆
伊派の石工・伊行氏の作品。あの名石工・伊派が作ったのに、なんだ、この珍妙な外観は・・・・と思ったところ、これは水輪が上下逆さまで、その上も別の塔のを乗っけたという、やはり珍な作品^^;
でも、なんか憎めない五輪塔だ・・・・ということで載せましたw
〇 それでは最後に、とあるブロ友さんのご提案にお応えしまして・・・・
・・・おでん串の五輪塔 を作成したいと思いますw
まずは〇、△、□、そして串を揃えます。
ちょっと串が短かったかな。
しかし、上に乗る空輪・風輪に適した具材が見つからない! ちょっと前には 味付けのうずら卵があったんですけど・・・・・仕方がない、これで代用だ!
梅干しw 上が妙に酸っぱいおでん串になってしまいました いや、おでんじゃないやろ^^;
今ある材料だとこんなもんですね
これで、五輪塔は本当に終わりです。最後は珍妙な終わり方で締まりがないですが(^▽^;)・・・・・ありがとうございました!