2016中国旅行記20「嘉峪関から蘭州へ!& 中国人と歴史の議論」 | 日中韓文化地めぐりのブログ

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嘉峪関から蘭州へ

 

 

 さて、嘉峪関南駅から、再び高速鉄道・蘭新線第二複線で終点駅の蘭州西駅まで向かいました。約4時間半の旅です。

 

 

 

 

 

 途中、座席の隣に座った、西寧出身の会社社長なる男(61歳)と、筆談も交えていろいろと会話しました。まあ、この話は後でするとしましょう。

 

 

 

 

一面の大草原。青海省に戻ってきましたニコ

 

 

 

 

 

 やがて蘭州に近付くと、黄河っぽい川が出現! 黄河かと思いきや、後で確認するとどうやら違うようで、黄河の支流みたいですね。

 

 

 

 

 

 そして、終点駅の蘭州西駅に到着です。おお目、さすがに新しい駅だけあって綺麗だな~kirakira* と思いきや・・・・・

 

 

 

 

 

 ジャーッドシャーが上から滝のように落ちてました( ̄□ ̄;)!! これって、わざとネタ提供してくれてるとしか思えないというかww 

 

 

 

 

 

 

 さて、蘭州市甘粛省の省都です。黄河が東西に流れ、市街地もそれに沿って東西に長く伸びてますね。

 古くからシルクロード都市として栄えていたようで、現在の蘭州という名前も、すでに隋の時代に付けられたものだとか。この辺はさすがに中国、歴史の長さを感じさせます。

 

 

 

 

 

 まずはバスに乗って、市の中心部までやってきました。中国銀行で両替して、宿探し・・・・しかし、地球の歩き方に載ってたホテルがみつからない。どうやら場所間違えでのようで汗

 地球の歩き方、あてになりませんねえむっ

 

 

 

 

 

 それにしてもこの日の蘭州は非常に暑かった。気温は38℃。何軒か断られた後、さすがに歩き回ってると疲れてきたので、目の前にあった高いホテルに決めました。

 

 料金は580元、なんと約9000円あせる  今回の旅、いや、今までの中国旅行で最高の値段です^^; 

 自分の旅のスタイルに似つかわしくないですけど、まあ、たまには悪くはないかな~と思って、ここに決めました。 

 

 

 

 

 それと、このホテルではじめて日本人(御一行)に遭遇しました。聞けば同じ大阪出身とのこと。御主人がものすごい声のでかい人で、奥さん恥ずかしがってましたw でも、自分も9日ぶりにまともに日本語を話したので、嬉しかったですねえ^^

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国人と歴史の議論(興味のない人は、スルーして下さい^^;)

 

 

 高速鉄道で同席した中国人(61歳)ですけど、いろいろ筆談も交えて会話してると、途中、 日本はかつて中国を侵略した!云々・・・」とか言い始めたので、「おっ、キタキター!ウシシ」と思いましたw 

 

 中国人の若い世代や女性なら、こういう話はあまり出てきませんが、このくらいの年配の男性だと出てくる可能性はありますね。

 

 しかし、何もビビる必要はありません。中国人はとにかく議論が好きで、いろいろふっかけてくるときありますけど、こちらも堂々とふるまって自分の意見を言えばいいだけです。

 

 

 

自分の旅に欠かせないホワイトボード

 

 さて、侵略とか言い出したので、今回、自分はまずはホワイトボードに、「唐の時代は○だった。しかし元は×、明とはかなり不安定で、清は・・・・」という風に書きました。

 そして、日清戦争以降、日本は中国を侵略したと言うけど、交流も同時に始まったのだと主張。○の側面もあるんだと言ったわけですね。

 

 そもそも、清王朝と日本の関係なんてほとんど希薄でしたし、交流らしい交流が始まったのは1871年からですからね。

 初期の訪日者である黄遵憲も、それまでの中国が、日本という国家を見て見ぬふりをしていたことを、厳しく批判してます。中国にとって日本とは、精神的には遠い存在であり、「西洋よりも遠かった」という意見もあるほどですから。

 
 
 
 
黄遵憲(ウィキ)
 
 
 それが、黄遵憲などが日本に来るようになってようやく日本という国家が中国に認知されはじめ、そして日清戦争で日本が勝利して「日本って何だ  はてな 」となり、実に多くの留学生などが日本に押し寄せてくるようになります。
  だから、むしろ日中の本格的な交流は、その後に開始されたと言っても過言ではないと思うわけですよ。
 
 
 まあ、中国側は戦前の日中関係の肯定的な側面はほとんど見ません。しかし、戦前から多くの留学生や研修生などが日本にたくさんやって来てましたし、互いに交流していたのは紛れもない事実。
 そういう側面をしっかりと見るべきである・・・・とか、そんな話をこの西寧の61歳の男としたわけです。
 
 するとこの男、次は「日本には資源がないだろう? それに日本人は屈強な民族だ。 だから日本は大変危険なんだ!」とか言い出してきました┐(´д`)┌ヤレヤレ
 
 どんだけ単純な発想やねんって思いますけどね。それ聞いて、「いや、水資源や木材資源は豊富だ」とか、ちょっとからかった意見を言うと「はぁ~はてなマーク」みたいな顔してましたけどw 
 まあ、真剣に答えるのも何なんで、「それ言うなら現在の中国は発展して、石油の必要量が増大した。日本よりもずっと多い!だから中国は危険だ」と、単純な意見で返しておきましたw
 
 
 
 
とにかく自分の意見を主張すべき
 
 ・・・・こう書くと、険悪な雰囲気なのかと思われそうですが、実はそうではなく、単にお互い意見をぶつけあってるだけなんですね。
 別れ際には「认识你很高兴お会いできて嬉しいです)」と言って、握手して別れましたし。
 
 中国人は意見をストレートにぶつけてきます。なのでこちらも彼の期待に応える?べく、意見をぶつけるまでです。日本人は議論しない人が多いように思いますけど、むしろ、積極的に意見をぶつけた方がいいですね。
 
 歴史の議論でも、必ずしも謝罪する必要はありません。いや、謝罪しても、しっかりと自分の意見を言うべきでしょう。向こうがあーだこーだ言って来たら、こちらもあーだこーだと答えればそれでいいわけです。
 歴史が苦手なら、「戦後の日本を見よ!中国に多大な援助をしてきただろう。」でもいいと思います。そもそも、中国の近現代史だって、とても誉めれたもんじゃないですから。堂々としてたらいいでしょう。
 
 逆に、謝るばかりで自分の意見を言わなければ、卑屈な奴と思われるかもしれません。日本ではそれが美徳と思われてますけど、相手は日本人じゃありませんから。
 お互い言い争って、その結果分かり合えることもある。特に中国人は、そう思ってると思います。なので、もしそういう議論になれば(滅多になりませんけど)、遠慮なく発言すればいいと思いますね。
 
 
 
 
ヘタレな栄養国民
 
 
黄山市の世界遺産・西逓村
 
 ・・・とまあ、偉そうなことをグダグダ書きましたが、2年前の黄山市の山中でタクシーに乗ってるとき、これまた歴史の話になったわけですよ。
 で、その時はあっさりと「すいませんでした」と謝罪して終わりましたw だって、こんな山中で「降りろ!」とか言われたら敵いませんから^^; 書いてることとやってることが違うと言われそうけど、まあ、時と場合にもよるってことで^^;
 ・・・しょせん、自分もただのヘタレでした^^;
 
 
終わり