介護・看護は、いらない!32年間 治療費は不要だった+政治的発言
-花粉症・肥満・うつ病・糖尿病・高血圧ズバリ解決
第64回目 2010.11.2
特集:同じ釜の飯を食えば、同じ病気になる!
-現代日本人はすべて、同じ釜の飯を食っている!
えーそんなバカな、とあなたは思われるでしょう。
第60回目で次の文章を書きました。
「ある県で起きた、親が小学生の我が子を殺した悲しい事件ですが、子どもは、発達障害ぎみ、その親もガンにかかっておられたとのことです。親も子も難病にかかるという恐ろしい・悲しい事態が増え続けています。」
更に、数年前にがんで亡くなったニュースキャスターの奥様が、数日前、同じガンで亡くなられたという新聞記事を読みました(がんの種類は違いますが)。
こういう事態はもう珍しくなくなっています。でも悲劇は続いています。
あなたの愛する人やご家族がこんな難病にかかったとき、
「何も悪いことはしていないのに、なぜこんな目に会わなくてはならないの!」と叫びたくなる気持ちは十分わかりますが、では、誰に訴えたら、誰に叫んだらいいのでしょうか。
誰も責任をとる人はいません。
更に、さらに怖いことには、
今では、同じ釜の飯を家族で食べることによってのみでなく、なんと日本社会全体が、同じ釜の飯を食って、病気にかかるような状態になっているからです。
・ 砂糖まみれ・動物性たんぱく質・乳製品・脂・油たっぷりの、季節外れの野菜、世界のあらゆるところから送られてくる食材、食品添加物まみれの加工食品をなんの疑問も持たずに食べる人々。いつでもどこでもお金さえあれば食べることができ(食べ放題)、残った食べ物を捨てても叱られない(捨て放題)。全国津々浦々にできたコンビニ・スーパーマーケット・デパートなど。それを可能にしたモータリゼーション・電化・輸送革命。テレビから毎日毎日おいしそうな料理の映像が流れてきて、食欲をそそります。仲間内の話題もテレビの宣伝や番組から大きく離れていません。同じ社会に生きているのだなー。食材も価値観も感性も似たようなものになってしまっているのでは?
我が家は三食とも、食材の段階から手作りですと胸を張って言える方は、ほとんど見かけません。
少々個性的な食生活をしているといっても日本社会全体の枠組みから離れることは、かなり難しいと痛感します。
あなたが、
みんなと同じような病気にかかり、苦しむのも仕方がないことかと、賛成する人、あきらめる人、運命を受け入れる人ならば、これでおしまいです。
それはイヤだ!あきらめたくない!と思われるならば、日本社会全体の食生活の枠組み・現代日本人が病気にならざるを得ない構造(つくり)・12の原因を学び、そうならないための実践をするしかありません。
反日的・売国的な思考は、歴史教育に根源がある!
-正しい歴史的事実を知れば、思考と行動はブレない!
2 欧米白人国家の植民地主義と全く違う日本近代の統治方式(植民地経営?) その4
日本近代の統治方式(植民地経営?) 台湾での統治の特徴
1 土地を奪った漢人、増やした日本人 日本時代に耕作地は倍増
2 物価の安定をもたらした道路建設
3 台湾近代化の基盤となった鉄道開設 使い物にならなかった清国時代の鉄道
4 毒水を飲み水に変えた上下水道整備
5 不毛の地を穀倉地帯に変えた嘉南大圳(ダム)
6 台湾の工業化を促進した日月潭発電
7 海外への門戸、キールン港建設 以下省略
箇条書きでは、分かりにくいので、一例を上げます。
5 不毛の地を穀倉地帯に変えた嘉南大圳(ダム)
-貧しい農民のために大型ダム建設を決意した八田與一
・ ダムの必要性:台湾は、冬が乾季で夏は雨季、しかも3000メートル以上の高山が200以上もある。そのため、夏になると平野は氾濫を起こしてしまう。ことに嘉南平野は「天水畑」がほとんどで、農民がいくら苦心して耕作しても貧困から脱出することはできなかった。これを解決するためには、ダムをつくって灌漑を行う必要があった。
・ ダムの規模と費用:ダムの長さ127m、底部幅30m、頂部幅9m、高さ56m
水路の長さは、戦後作られた日本最大の愛知用水の13倍、万里の長城の6倍の
16000キロメートル。総工費5348万円
ここからは、引用
八田與一は1886年、金沢市に生まれた。東大の土木工学を卒業後、ほぼ同時に台湾総督府土木局につとめた。56歳で亡くなるまでほぼ全生涯を台湾に住み、台湾のために尽くした。
初めは台北の上水道建設や桃園県の水利事業などに参加したようだが、彼の名前が後世に残るのは、当時アジア一といわれた烏山頭ダムと1万6000キロにおよぶ灌漑用水路の建設にあたり、人情味のある現場責任者として農民に慕われたからである。1920年に着工10年の年月を費やし1930年に完成した工事で、巨大な建設機械がなかった当時としてはとんでもない大規模土木事業だった。しかも場所は植民地である。
烏山頭ダムは、台湾西部の嘉南平野の東方の山地にある。渓流をせき止めた堰堤は1600メートル以上ある。セミ・ハイドロリックフィルという、石や土を組み合わせてコンクリート以上の強度を生み出す石積み工法を用いた。
嘉南平野は台南市や嘉義市を含む台湾最大の平原である。鄭成功が明末に拠点を開き、その後オランダも城を築いたかつての台湾の中心地である。肥沃の地と思われがちだが、平原を流れる河川が少なく、しかも急流だったため、水利としてほとんど機能してこなかった。
このため20世紀になるまで嘉南平野はサトウキビすら育たなかったといわれる。この嘉南平野は八田與一が建設したダムと1万6000キロにおよぶ網の目のような用水路のおかげで台湾最大の穀倉地に変わった。
中華民国新聞局が発行する「中華週報」の最新号によると、烏山頭ダムから轟音をたてて躍り出た豊かな水は、嘉南平原に張り巡らされた水路に流れこみ、みるみる一帯を潤した。当初半信半疑であった農民たちは、眼前を流れる水に「神の恵みだ、天の与え賜うた水だ」と歓喜の声を上げたそうだ。引用(ネット 萬晩報主宰 伴 武澄
より)
日本の台湾経営には、「植民地的搾取」とはまったく逆の史実が残されている。たとえば、明治二十八年、台湾総督府の支出はすべて日本軍事予算から出されていた。翌年の台湾の歳入は271万円、日本の国庫補助は694万円であった。日本国民一人当たりの予算は2円27銭、台湾への一人当たり予算は3円16銭。台湾が日本の植民地なら、日本国民は植民地のために搾取され、台湾を肥らせ、甘やかしていたというのが史実である。
「植民地を肥え太らせ、後からごっそりいただこうと考えたのじゃないか」という悪意は、
残念ながら、日本人にはありません。