義理の母が骨折が回復した事で病院を退院してから施設に入居
まだ日が浅かったのです。
食事を拒絶し、点滴で生きながらえているから長くないと
医師に言われたと、それで慌てて施設の方にお見舞いに行ったのが
8月5日の土曜日でした。
長い時間の面会は出来ないので、それでも義妹は「何も分からないかもしれない」と
言っていたのに、私たちがベッドの傍で声を掛けると直ぐに自分の息子、嫁、孫で
あると分かり、しきりにベッドから起きたがった。
思い返せば3年前に夫が別件で用事もあるから連絡したら
「コロナが大変なので来なくていい」の返事から長らく会にも行かぬまま
そして、やはり同居している孫が仕事上でワクチンの接種、同居しているので
義母も義妹も接種しない訳にはいかなかったのだろう。
そんなで2回接種から3年めか、それまでは元気に介護など受けぬばかりか
食事の用意迄していたのにトイレに立って突然転んでが今年の6月末。
8月5日にとんぼ返りして「元気になると良いけれど」など話していたのに
8月7日の夜更けに施設から「危ないので来て」と言われて義妹が行くと
間もなくに息を引き取ったと。
10日に通夜、11日に葬儀を済ませて火葬場から帰りのマイクロバスで
義母のたった一人の曽孫の中学生が
「おばあちゃんいつ亡くなったんだった?」とおばあちゃんから譲り受けた
単行本を手に「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」
それでも安らかな顔で旅立ったことで享年97歳でもあったから
私たちは一つ肩の荷を下ろした気持ちもある。
とてもとても暑い夏、
そして間もなく私の実母の命日
あの日も余りにも暑くて私たちは出雲崎海岸まで出掛けたのだった。