ピアノという楽器はほぼステージに固定していて
その楽器(メーカー各種)との相性があり、そして
どの様な巨匠であっても、例外を除きソレを弾かねばなりません。
若い頃、門下の発表会や、自分の生徒の発表会も含む
会場は常に同じではなく、それは人気の会場の人気の日程は
競争率が厳しいなど、本当にホールのピアノでの少ないリハーサルで
演奏するのは恐怖でしかなかった。
だから、ただでさえ人前で演奏する機会も少なく緊張の上に
ソレがどんなタッチなのか、自分の指との相性など考える余裕もないままに
練習した通り、覚えた通りをミスなく弾こうとするだけで精一杯。
やはり、長く親しんだ気心の知れた相手ならばどれほど安心でしょう。
そんな事から、小さくてもお気に入りのピアノを据えたホールで
時々、自分の集中した気持ちで弾きたい曲を演奏できる環境を持つのが
夢でした。
ピアニストと言う職業は、恐らく高い入場料を払ってまでも聴きたいと
思わせる「何か」を持つ領域に達しないと無理なのだと思うが、ある時に
マネージメントやプロモーションによって「売り易い」が成り立つ演奏家だけが
需要があるのだと気が付いて、それにはコンクールを数こなし運よく
上位入賞するのがメインの方法になってしまった。
そこには演奏する曲への気持ちとか向き合う時間はとても少ないだろう。
有名な審査員をもする指導者兼ピアニストのレッスンを受けて
なるべく気に入られる演奏をするのが目標になる。
そこでは当然、解釈や細かな指導を受けても本人が「どう弾きたいのか?」は
ほぼ除外されるのである。その演奏に何か意味があるのだろうか?
そしてそれが運よくグランプリや上位入賞の冠を頂くことで凱旋演奏が可能になる。
注目されるのが好きで、ピアノの演奏する曲との対峙した中身よりも多くの
聴衆に気に入ってもらえる所謂「大衆受け」にポイントが移動する。
例えば100人いれば、100通りの音の違いがあるが、それを聞き分ける能力は
普通にはないだろう。だから「誰」が弾く音なのかは余り関係なく会場に足を運ぶのが大半。
それに引き換え、小さなサロン風な会場に「貴方の音、貴方の音楽が聴きたい」
それはショパンが好んだスタイル。録音が残っているはずもなく、彼自身が
どの様に演奏をしたのか知るすべもない。しかし、そこには当時の社交場のウエイトが
高くとも、ショパンの演奏を聴きたいと集まった特に女性ファンは多かったらしい。
今、またそんな時代に却って行っている様な気がする。
社会風潮も含めて、贅沢な社交のアクセサリーの様な感じ。
私が若い頃、生で聴くチャンスは無かったが一番お気に入りのピアニストは
エミール・ギレリスだった。
ロシアンピアニズムの代表選手の様な「鋼鉄のタッチ」と評されたが
確かにしっかりしたインパクトの強いタッチに、そこから紡ぎだされる音は
心惹かれるものだった。
そんな折に、2014年のクリミアのロシア回帰からの西側思惑の作戦が始まり
ウクライナに紛争を「オレンジ革命」と呼んでいるらしいが、かつては
ロシアだった国の、悲惨なウクライナ政府軍による居住者への圧力と
いわれなき制圧が始まり、ギレリスの生まれたオデッサも血に塗れて
心の痛い日が続いている。ギレリス自身が生きて演奏活動を行っていた時代も
同様に大変だったのではないだろうか。
ギレリスの死因もヨーロッパへの演奏旅行前に予防接種が看護師のミスで
急死と言う悲劇も何となくコロナワクチンの騒ぎを彷彿とさせて、以前は言葉の
ネックで、ロシア及び東欧言語には馴染みも薄く、また情報も少ない為に
知らないままで来てしまったことも、この数か月にあれこれと思っていた事以外の
新事実もあるように感じる。
かつては広大な(今も広大だが)ロシアの首都だったキエフも英語読みの
キーウと「キーウイ?」と時代はまたまた劇的な変化中ではあるが
それは何か新しい未来ではなく、忌まわしく消してしまいたいような人間社会を
ゾンビの様なものたちが蠢き続けてきた結果戻ろうとしているのではないかと
恐怖すら感じる。大好きなロシアのピアニストたちを再び聴くことが出来ると良いが。
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