ここらで一度、
1人目の娘ちゃん出産時のことを
振り返っておきます。
約3年半前のことです。
娘ちゃんは、38週2日目で産まれました。
妊娠経過は至って順調で、
普通に仕事もしていたし、
安定期には新幹線や飛行機に乗って
旅行に出かけるほどアクティブ妊婦でした。
32週で産前休暇に入り、
調子に乗ってあちこち近所を
出歩いたせいかは分かりませんが、
33週の定期健診で、張り止めの処方と、
自宅安静をいい渡されました。
初産だったこともあり、
子宮頸管長が何mmだったのか、などなど
よくわかっておらず、
何も覚えてはいません。![]()
そこから1ヶ月は一応ゴロゴロ過ごし、
また体を動かし始めてしばらくして、
38週の健診で、
高位破水していることがわかり、
急遽入院に。
↑これ、ほんとに気づかなくて。
前日くらいから、尿漏れかな?違うか?と
うっすら思う程度の感覚はありましたが、
量が増えるとかもなかったので、
次の日が健診で本当に良かったと
記憶しています。
入院後は、破水しているとはいえ、
陣痛もないし、体の調子はいつもと変わらず。
24時間抗生剤の点滴と、
シャワー禁止は少し辛かったですが、
のんびり。
翌日は祝日だったため、
翌々日に誘発分娩しましょう
ということになりました。
ここの病院は、無痛分娩で有名な総合病院。
当時は、麻酔科医がいる時間、
平日9:00〜17:00のみ実施となっていて、
私の分娩当日は、無痛分娩も選べる状況でした。
でも、当時の私は、
あえて自然分娩を選択しました。
一度くらい出産の痛みを経験しても良いかな、
という気持ちと、
お金が12万ほどかかること、
そんな理由でした。
今思えば、出産の痛みを舐めてたし、
もし、無痛を選択していたら、
結果は違ってかも。という
後悔がよぎることもあります。
分娩当日。
朝から陣痛室に移動し、NSTを取ったり、
準備が進められました。
後から分かりましたが、この日、産まれた赤ちゃんが8人もいたそうで。
たしかに、助産師さんバタバタしていて手薄感はあったなーという印象はありました。
午前中、いよいよ誘発剤の点滴開始。
しばらくして本格的な破水。
点滴が始まって1時間ほど経つと、
あれよあれよとお腹が痛くなり、
途中で昼食が来ましたが、
食べられず、痛い痛いと思っているうちに、
分娩室へ。
そこからは、波が来るたびに、
まだいきまないで〜と止められ、
のやりとりを何度かしているうちに、
いきんじゃってオーケーの指示に変わり、
それでもなかなか赤ちゃん出てこず。
多分途中で💩も思いっきりでてたと思う🤦♀️
痛すぎて意識朦朧となってきたところで、
赤ちゃんの心音が落ちてきたと
周りがばたつき始めて、
私は私で意識朦朧の中酸素マスクつけられて、
先生が何か説明してるけど、
それどころではなく。
↑吸引分娩になることの説明だったらしい
助産師さんが馬乗りになってお腹をグイグイ押して、ようやく赤ちゃんが出てきたのでした。
頭が出た後の、胴体?手足が産道を通るときの
ニュルッとした感覚は今でも忘れられません。
その後、色々処置されて、
会陰裂傷があるとのことで、縫いますと。
そこでお産担当のドクターが、
あれ?と。
すぐに、先輩ドクターが呼ばれました。
その先輩ドクターと何やら話をしている。
何度も膣内を触診して、
これは、いってしまっている、
そんな会話がなされて、
たしか、産科部長も確認に来ていた。
そして、傷が深いので、外科の先生にも縫ってもらいます、とのことで、
その時は何がなにやらでしたが、
外科部長も処置に加わっていた。
少し不安になるものの、その時は細かい説明はされず。
その頃、娘ちゃんはすぐ近くの台の上で、
処置をしてもらったいました。
吸引のせいで少し頭はとんがりしていましたが、
産まれてからのあれこれチェックを受けて、
特に異常もなさそう。産衣を着せられ、
一足先にパパと写真撮影。
私は私で、無事産まれてくれた達成感で
胸がいっぱいに。
その後、しばらく休憩してください。と、
赤ちゃんは新生児室に移動し、
分娩室には夫くんと2人、残されました。
無事に産まれて良かったね、
自然分娩頑張った!無痛分娩のお代が浮いた!
私頑張った!
なんて呑気な会話もしたような気がします。
途中、助産師さんが様子を見に来つつ、
3人の写真も撮ってもらい。
けっこう長いことその場にいて、
これなんの時間だろうなんて思い始めた頃、
ようやく分娩を担当だった女医さんと、
何故か産科部長のおじさんが
部屋に入って来ました。
続きます。