今月は本当の人生の転換期で、「終わったネガティブガーンタラー」とも思えるようなものすごく悪い出来事とその悪い事があるからこそ、今までになかった仕事や最高の方がたとの出会いと、そして今まで頭になかった業種へ行くしか方法が残っていないえーん


のような状況で、以前四柱推命で私は「羊刃」持ちだと書きましたが本当に典型的といえば典型的かもしれない、破壊的な大変さ•••悲しい(これまでに何回かそういう時期がある)


自己分析の結果、そういう時絡んでくるのが気のせいかな〜ではないリアルな霊現象おばけくんおばけくんおばけくん

だから、最近急遽そんなことをブログにも書いてしまうんですよね魂


それがですね。

通い始めたお寺で御護摩を焚いていただくようになって治まって良くなるかと思いきや、爆発的に吹き出しました真顔この場合の吹き出しは悪い意味ではないです。

隠れていたものが表に出るということは解決の糸口が見えてきた証拠だと捉えます。


目の前で火がくべられて炎が上がって読経が始まると、私の心臓のあたりにも火の熱さを感じ始めます。自分の体に火がついたように熱くなってきます。人の体で「火」はやはり心臓なのだなとも思うし、ほつまつたゑでは「なかご」といって神と直接通じたり行ったり来たりしながら日頃の行い、罪を監視する連絡口、関所のようなところともなっています。

そう思うと御護摩で火を焚くというのは「罪」の関所の火で罪障を消滅させているという、神道にも通じる理に適った方法だとも思えるのです。


詳しくは書くことができませんが。

最近、人から相談事がやってくるとも書きましたがその方々に起きていることともリンクしてきました。


お寺で偶然に同い年の女性とご一緒させていただいて「聞いてもいいですか?憑依した時ってどうなりますか?」って帰り道に質問していただいて即答で「顔見ればわかります」と答えました。


生霊なら、鏡に自分の顔を映したら相手の顔そっくりに見えるので誰なのかまではっきりわかると思いますし(びっくりするけど)、亡くなった方なら目のまわりが真っ黒とか顔色が亡くなった後の顔色みたいになったり。

それが、一日の間ずっとじゃなくて戻ったり変わったりコロコロ変化したりもします。


なので明らかに違う!って瞬間で思うので誰でもわかるんじゃないかと思います。


そうなったら慌てないで常に心に神様や仏様を置いてお祈りして、お祈りといってもお任せするという意味です。


それを忘れていたがために起きていることが今多いのではないかと思っています。そうやって思い出させるために起きているのではないかとも思えます。


これはすごく最近思ったのですが、そうやって感じやすいタイプの方は入口として入れる可能性の高い仏門に入るのが一番いいと思いました。(そのために繰り返し見せられているのでは?と思えてきました。)


ぜんぜん違います。


やられてばかりいると、心が弱って魂の線が細くなっていきます。

ご神仏と御縁を繋ぐことでその時から太くなってあちこち強くなり感じやすい体質ゆえに起こる困難に対して強くなります。


「強くなる」のも努力でどうにかなるものではない時が沢山あります。


強くなるとまた悪い面も出やすくなるので自分で自制することも仏門で身に付けることもできます。


相談されている方々や身の回りで起きている事、過去のいじめ等も、全部共通していると思うのは「節制」して自分をコントロール出来ないことだとも思うし、やはり「戒律」の意味を履き違えた「マニュアル社会」が、人の個性を奪って振り落とされた人達の心がこわれかかってしまって心が出口のない迷宮入りしてしまっていると伝わってきます。


それがたまって極まると「破壊」しようとするのはその人が弱いんじゃなくて自然現象と捉えたほうがしっくりくる気がします。


今、電車に乗った時には「大日経」を読むのですが(電車での読書が一番好きです)そこにはっきりと今の世の中のことを示唆しているのではないかと思われる文言があります。


第三章「障礙の除去」息障品(そくしょうぼん)第三


秘密主よ。

障礙は自分の心から生じたものであり、それは過去の凝り固まったことに因がある。その障りの因を除くには菩提心(さとりを求めようとする自己の心)を念じよ。(一部抜粋以下に続きがありその作法が書かれている)


(略)


このことは先仏(過去の諸仏)の説示であるが、未来世の劣悪の人々には智慧に閉ざされて信じることができず、外道(異教)の説だと疑いもしよう。


(以下に続きが書かれている)


智慧と知恵は違います。

もしかしたら著者の方は知恵のほうを書こうとしたのか、、、?恐らく「知恵に閉ざされて」の方ではないかという気がします。


(関連する質問知恵と智慧の違いは何ですか? 

 「智慧」と言うのに対して、「知恵」は、生まれた後に学習し身に着けた、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力のことを言います。 生まれた時から持っている先天的なのもが智慧、後天的なものが知恵・知識なのです。)


相談してくださった方の話しを聞きながら、ものすごく悲しく虚しい物語を聞いているかのようで、切なくなりました。


本人が真面目に一生懸命のつもりでやっていることが他人に多大な迷惑をかけて物事を破壊までさせてしまうというのですから。それでやけになったり憎しみを抱いてしまっているのです。


「戒律」とはそういう人にレールを敷いて生きやすくするためのものでなければならないのだと思いました。


締めくくりでなんですがものの流れでよくあるショッピングモールで占いを行うようになるかもしれませんニコニコ