瀬織津姫はのんびり書きはじめた「御機のハ綾 魂返しハタレ討つ綾」の中にも登場します。

6月30日は「大祓」になりますが、この「大祓詞」にの内容と重なる物語がこの「御機のハ綾 魂返しハタレ討つ綾」です。

瀬織津姫真写八咫鏡(まふつやたのかがみ。十七綾参照。民の心が入る入れ物。神を招く。左に持てば右に見え、左にやれば右に行く、向かえば前に寄る、皆翻(ひるがえ)る。)を

速秋津姫草薙八重垣の剣(※二十三綾参照。神代の矛が元になっている。優れた鍛冶人に右目ひとつで錬らせた。右は「枯れ、活き無し」左は「活き、枯れ無し」の象徴。罪科を枯らすために右目で練る)を

などのあたりは八綾と大祓詞の重なる部分でもあり、大祓詞の解説のような役割も果たします。
八綾では大祓詞の中の祓戸の神が勢揃いもしています。

瀬織津姫は「サクラウチ=桜大刀自神」の子にあたり、また、系図を辿るとサクラウチは物部の祖先にもあたります。また曾孫は木花咲耶姫と繋がります。
速秋津姫はハタレ征伐のリーダーである金折神(カナサキ)の子です。

ハタレ征伐の頃は金折神の案により「枯らさず活かす」ことで魔を活かしました。霊(魂)返しはそのような理由(鏡の仕組み)からうまれたのだとも思わせられます。

武甕槌命がハタレを誤って枯らしてしまったというハプニングもありましたが、ハタレ征伐の功績によって「フツノミタマ(剣)」を賜りましたが人を斬ることはありませんでした。

人を斬るようになったのは後の世になってからです。

ハタレ征伐には天照大神がサクナダリの早川の瀬で禊をしてハタレを破るための種を授かる、とありましたが、サクナダリは瀬織津姫を指し、早川の瀬は速秋津姫を表しています。


この物語を大自然の景色として想像してみてはいかがでしょうか?
天照大神は太陽です。瀬織津姫は滝で滝は山に存在しています。


早川の瀬というのは滝の水は海に向かっている事を意味しています。



海は生命を司り、古代は海の底には根の国、黄泉の国が存在していると信じられていました。

海の底は誰にも行くことの出来ないわからない神の領域であり、それが竜宮城であったりニライカナイでもあったのでしょう。



その水を司る神が瀬織津姫で、太陽神の天照大神はホツマツタヱの中では夫婦です。水とは「直接人や生命に作用する月の働き」でもあります。
生きとし生けるものは太陽の光と水無しには生きていくことができません。
海も生命の生死を司りますが、月もまた生死を司ります。


月は太陽の光を移すので、月はまるで太陽の「鏡」そのものともいえるわけです。

瀬織津姫が鏡を持って天照大神とともハタレ征伐に全力を注いだ、というのは物語の話だけでなく、今自分たちが住んでいる地球のことを物語に変えて伝えているのではないでしょうか?

太陽も月も水も、海も山も川も、動植物も何一つ掛けては生命は生きていくことができません。その自然を利便利益追求重視でどんどん壊していくのは人です。

自然の摂理をもっともっと大人が子どものうちから自然に触れさせて体験を通して教えていかないと便利の良さに隠されてしまって気付くこともなくなってしまうのだと思います。

リブログさせていただいた内容に聖徳太子と空海のことが書いてありますが、私も先日似たようなことを思い記事にしました。

空海と聖徳太子です。
また、ホツマツタヱもそのひとつだと私は思っています。

鏑邦男氏の著書の中に、石の蔵の中で厳重に保管されていた古文書。持ち主だった方の意思とは関係なく回収されて国のものになってしまったようです。
今でも内容は一般公表はされていません。
その中にはホツマツタヱ解読に知られざる重要なことが書かれていただろうと思い、鏑邦男氏は著書に書き残してその存在を知ってもらっていつか誰かが救い出してくれることを願っていたのかもしれません。

こちらの本だった気がします(もう私の手元にはありません。もう一冊の方でしたらすみません)