昨日は友人と短い時間でしたが、2年ぶりくらいに再会してきました。


海外在住なので、お子さんたちと一時帰国して見て感じた日本日本


まずは、東京タワーに行って地上を眺めたときに、ビルでビッシリした景色に唖然としたあんぐり


電車に乗ったら、お子さんのほう(ハーフです)が「みんな電話見てるね」と。

満員電車の中でみんなスマホを眺めている光景。


久々に日本に帰ると地面はコンクリートに覆われて「土がない」と思ったそう。


そう、その友人の暮らす国は大自然の中です。

以前、お子さんたちが遊ぶ様子を動画で送ってもらったことがありますが、汚れなんて気にしないで雪の中で思いっきり元気に遊ぶ幼いお子さんたち。


その友人も、今は家族の不調と向き合っています。

同じタイミングで私もそうなのでいろんな話をしました。


メンタルが不調だと言っても「生まれつき」ではありません。そうなる前は普通に元気だった。


その友人の家族は「幽霊の夢を見る」と言ってくると言っていました。

私にはそれがどういう感覚なのか、どういう辛さなのか、ものすごく共感できるので「本当に見えてるんじゃない?」と言いました。

それで、私もこういうふうにたまにブログでは書くけれどぜんぜん表現しきれてなんていないです。自分の精神状態も含めて。


だから、人に話したいなと思って「こんな事あったんだ」と話したことがあってもその奥まできっとわかってもらえないし、わかってもらえる話し方もできないし、と思っているから中途半端なんですよね悲しい話しはじめたなら否定されても貫けばいいのにね。(自分に向けて)


これこそ、初めてここに書いたり人にもそこまで話すチャンスもなかったと思うんですが、、、

私にとって昔から「幽霊現象」は「神仏に見せられているもの」という認識なのです。


もちろん「負の念」も本当の事だと思うんですが、それを見ない時感じない人は階層が違うというか、、、

見たり感じたりしてしまう人は、それを取り除いておしまいなのではなくその中に「自分の中で精算できていないこと」「とても大事な意味」「自分の役割」に目を向けて考えなくてはいけないと思っていました。

見えて聞こえて、怖い怖い、お祓いして良くなりました、で終わってしまって忘れてしまったらただ無駄な時間を費やしただけで、人が生まれてから寿命を迎えるまでの間の限られた時間にそんな無駄な負の時間はいらないと思うんですよね。


「神仏に見せられているもの」という認識がなくてただ自分に襲いかかる脅かす存在にしか思えていなかったらあんな恐怖だけあったら私はメンタルが強いわけじゃないので、もうとっくに気がおかしくなっていると自分で思います。


ここまで書いても全部伝えきれていないのですショボーン


先日、沖縄の風水の事で「カミングヮ」という本を紹介しましたが、その本の中の長嶺さんは「幽霊はいない」「全て神様がなさること」の、細かい言葉の言い回しは違うかもしれませんがそう仰っていました。(最近また本を開いてみましたニコニコ

それを見て、やっぱりそうだ!と思いました。


霊がいないかというとそういうことではないし、霊はいると思います。そこに結ばれてしまう「縁」と言ったらいいのでしょうか。その縁を結ぶのが神様だと言ったらいいのでしょうか。


だから、「見たい」と思えば通じることもあるでしょうし、少し感覚が鋭いと「ここが気になる」と思うとそれについて確かめたり知ろうとしてアンテナを合わせてしまうので、それが無意識に癖になって普通になってしまう、それが知らず知らずになかなか抜けられない沼にハマってしまう事も。知らず知らずだったりそうでなくでそういうのを自分の意志で選び取ってしまっている事もあると思います。


殆どの人は幽霊現象とは無縁だと今は思っています。昔は誰でもあることだと思っていましたがどうやら違うらしく。

きっと普通に生活していてそういうスポットを通ったり、行ったり、気付かずにしているはずですが(私も出る場所だと言われていた店で働いていた事があるので)全く平気な人も沢山います。


過去、一刻も早く取り除くことだけに一生懸命な人がいました。それで、あり得ない事を言う人のことを信じていた人に注意しました。


お経を調べていたら今そういうのが動画になっているのを知って、その人の凄さだけが一人歩きして、すごいすごいと視聴者がどんどん増えて大人気、という状況なのを最近知りました。

でもお祓いの読経が間違っています。ぜんぜん出家していない人でも知っているような基本的なお経なのに、です。


幽霊現象の違和感も、不可抗力なのも、メンタルが弱るようなところを狙ったかのように起きてくることも、邪魔が入ることも、本当に悔しいと思った事があるけどそれよりも悔しかったのはそれを商売にして鼻高々になって多くの人の賞賛を浴びて贅沢している人だったこと。紹介だったから信じてしまったけれど、結局は人任せにした自分のせいとしか結論が出てこず。


一時期幽霊現象に悩まされて、お祓いのピンキリを、、、して貰う側で失敗談も含めて、また昇華した時の自分が感じる体感がどんな感じかも、両方一応少しは経験としてあります。


今になって、先日お寺を紹介しましたがお祓いでは「密教」が私にとっては一番合っていて信頼もできます。

それで、すごく今色々と考えさせられているところです。考えさせられて、空海の本を今読んでいるのですが「もっと早く読んでおけばよかった」とお大師様の世界が↑に書いたことも含めてパズルのピースがピタッとはまるかのような、、、以前は難しくて読めなかったのに今は食い入るように読んでしまいます。お祓いは通関点であって密教の宇宙に入っていくためのものかもしれないと感じました。


幽霊現象には、その現象を見る御縁にも昇華する御縁にも自分にとって与えられた「テーマ」があってそれがあったから気付く忘れてはいけない大事なことがあります。


私の友人のご家族の幽霊現象や、その方の言動、行動、私は少しもおかしいと思わないし正常だと思いました。でも、きっとお医者さんや他の人が見たり聞いたりしたら異常者だと思う人も多いかもしれないです。


異常なのではなくて「感性が特別」でなかなか共感できる人がきっといないから諦めてしまっているのかもしれないね、その感性を伸ばしたいね、とそんなことを話ししました。


心の病の多さと、受け入れられる病院が少ないことで患者の振り落としと思われるシステムがある事も、昨日の友人の話からでも私の家族の話からでも感じました。


その友人も「治らない薬でこの先何十年も過ごすことに疑問を感じる」「病の症状を見て根本を見ていない」と言っていました。


過去、私の他の家族が回復した時には「御縁」としか思えず、私も相当努力しましたが努力なんかじゃなかった。あんなに頑張ったのに私の振り絞った知恵や力なんて関係のないところで治ってしまった。

「自分の力でなんとかしよう」と考えたことは実は傲慢だったのかもしれない、、、そう思った。


その友人と「祈り」って大事だよねという話もしました。


でも、自分の家族に神様や祈りを信じてほしくても宗教と思われて言葉を選ばなくてはならない、というとその友人が「えー?なんで?日本てなんでそうなのかなー」と驚いていましたニコニコ

確かにそうだよね、それって湾曲しているよね。海外は宗教は生活の中に普通にある国が多いもんね、と。


最後は、大丈夫、きっと良くなる!とお互いに言い合ってまた会おうね、とバイバイしましたおねがいキラキラ