先日、「十句観音経」を覚えましたニコニコ

きっかけは何だったのでしょう。
なんだかそういう流れで•••波

ずっと前忙しさに見て見ぬふりをしていましたが、我が家1か所、気になる場所がありますおばけくん
そこだけ携帯の電波が不安定でユラユラして時々消えます。
ある日、珍しく電波が0になりました。
私通り道を塞いでしまったんですおばけくんアセアセまさにその直後。

そこで、「光明真言」と「十句観音経」を唱えた瞬間にあっという間に電波が復活しましたあんぐりしかも電波100%の状態に。

電波ゼロ→100ですアセアセガーン


これは最近の話ですが本当の話ですアセアセ

また、不調の家族の布団の下に般若心経を仕込みましたところ、それを知らない家族は普段とは頭を逆向きにして布団の仕込んだ場所の真上に丸くなって寝はじめました。

今日のグリーフ・ケアの活動の中では話しの流れでチラッとだけ観音様のお話が自分の口から出てしまったんですね。

「誰にも言えない悲しみや辛さに苦しむ時、観音様は呼べば手を変え品を変え、どんな手段を使ってでも助けに来てくれる、ということが法華経には書いてあるんですよね?」と、隣りに座っているのが日蓮宗のお寺の住職でしたので•••

「だから私は誰にも辛いと言えないときは神社やお寺でご神仏だけには"辛い"と本当の自分の気持ちを聞いてもらっていたんですよ」って。

お経の功徳にここ最近驚かされることばかりで、先日真言宗の阿闍梨の大先生にお会いしたこともあり「理趣経」を読んだのです。
だいぶ難しくこれまでは敬遠していたのですがわからないながらにグイグイと引き込まれてしまい、両界曼荼羅と理趣経を交互ににらめっこアセアセ

すると、おや?
以前、ホツマツタヱのことを教えてくださっていた方も仰っていた

「弘法大師はホツマツタヱを読んでいたであろう」

この意味がものすごく理解できたような気がしましたあんぐり

「理趣経」は「理趣釈」とセットにしないと「理趣経」だけでは意味がわざとわからないように書いてあるといいます。誰でも読んで良いお経ではないそうです。それもそのはず。「性」の解釈がそもそも非常に難しく浅い知識や精神の向上のない人が自分流に解釈しようものならかえって「毒」にもなるからです。
その事を私が読んだ本には「辰砂」と「水銀」に例えてありました。
「水銀」は使い方次第では猛毒ですが、古代の優れた人は水銀を使いこなして「人を癒やすために使った」のだ、と。

私がお会いした阿闍梨の大先生はさらに深く「理趣経は性のことを書いているのではない」と仰られました。もしかしたら理趣経の性の解釈のもっともっと深い真髄の部分を見ていられるからかもしれません。

リブログでご紹介されている

「三七年延命の秘法」

とても気になってしまいました。


思えば「真言宗」とは「言葉(言霊)」を使う宗派です。お経を唱えるだけで救われたり、最初の方に書いたように携帯の電波が繋がった、などの不思議なことがあっても、理屈抜きに「そういうもの」だとしか今はわかりません。


(いつも勝手にリブログさせていただいてすみません看板持ちアセアセ