梅仕事の季節がやってきました!旬のものはずっと旧暦に沿っていてくれるので季節の野菜や植物に合わせた生活をすると自然と昔ながらの旧暦生活を送ることができそうですね。日本の習わしを見直したいなと思いました😊
ちょうど今朝、娘たちを送り出してお茶をしながら「五行大義」を開いていたところだったんです。
(四柱推命を思い出すべく復習しはじめました。)

 

 

 



今は「青梅」が出始め、梅仕事初心者の梅酒には固めの青梅が、柔らかい南高梅は梅干しが作りやすいのではないかと思いますニコニコ

我が家はお酒を飲む人がいないので、梅シロップを毎年つくり、ゼラチンや寒天で固めて梅ゼリーにすると子どもたちは喜んで食べてくれます。

梅干しは毎年作ると本当に奥が深くて、梅干しの出来具合でその年の梅の健康状態(梅の生命エネルギーの強さ)も見えてきて、梅の生命エネルギーが弱い年というのはその年の日照や雨量、雷などの天候が大きく影響しているということでもあり、天候の乱れは「人の行い(自然環境破壊など)」も影響していることも大きいので、こんなふうに植物が世の中で注意しなければならないことを知らせてくれているように思うんですよね。
自然環境の破壊の原因は、人が利便を追求したことによって自然と共に共存する=神様と共に共存することを忘れてしまったことだと思っています。 

「センス・オブ・ワンダー」という本の中の世界観です。

梅に戻りますが、傷んでしまって、はじいた梅は甘く煮て梅ジャムにします。

東城百合子さんは、梅干し=薬として紹介をしています。
頭痛などの鎮痛効果もあり、アミグダリン抗酸化作用で美肌効果もあり、解毒にもよく、また、喘息のお子さんに梅シロップを毎日少しづつ飲ませて喘息が治ったというエピソードも聞いたことがあります。

今日は毎年恒例の「紫蘇ジュース」つくりますキラキラ

紫蘇ジュースは毎年娘たちも楽しみにしていて、紫蘇ジュースは20年くらい欠かさず作り続けている気がします(笑)

こちらも暑さによる夏バテや疲労回復に良いとされていますニコニコ

リブログ元の「祈りの羽プロジェクト」さんがご出版された本を昨日電車の中で読了しましたおねがいキラキラ


先日「氣」について書いたのですがシンクロしていたり、「体の病と心の病」の関係について現役のお医者さんと対談形式になっているのですが、今家族の不調と正面から向き合っている私にはまさにタイムリーですおねがい
「筋反射」のことが書いてあるのですが、私のアロマテラピーの先生がちょうどオステオパシーを習い始めた時でなんとなく知識として言葉は知っていました。
その筋反射を使って必要な本の中の必要な言葉を選び出す、という方法にも驚いたし、「言葉」で治療できるお医者さんは最高医として認められていた時もあったお話も、最後のホツマツタヱに繋がるお話しもウンウンおねがいと頷きながら読ませていただきましたキラキラ写真も素敵キラキラキラキラキラキラ(あまり書くとネタバレになっちゃいますねアセアセ

きっと、ホツマツタヱの世界とと現代を一本の糸で繋げて本来の日本人の姿を現代人として蘇らせる「お役目」を担われていらっしゃるのだなぁ、と思わせていただきました照れ

ホツマツタヱと出会った頃の研究のイメージは、過去私が思うには学術的方面が多かった気がするんですよね。まだまだ過渡期という印象で。
まずは本文の言葉の意味や実際の遺跡や歴史と照らし合わせて「偽書ではない」「これが正史だった」という証明をしていたような。
それが今やっとこんなふうに今の時代の自分たちに具体的な「生き方」にまで繋げられるようになったんですねキラキラキラキラキラキラ
あーアセアセエラそうになっていたらごめんなさい(_ _;)ぜんぜんそうじゃなくて、私なんかには到底出来ない事をこんなふうに素敵に出来てしまう方がいらっしゃってそれで「お役目」ってあるんだなぁおねがいとしみじみしているところです。

私は鏑邦男先生のホツマツタヱを読んだ時の第一印象は正直「もともとは神しかいない世界だったのに、罪穢れがどのようにうまれてどんなふうに世の中が落ちていきとうとう払いきれなくなって、祓戸の神も、日本武尊も去り、まるで世の中が悪くなっていく様子を描いた物語のようだ」と思ったんですショボーンその行く末が現代の有り様のようでなんだか図星で悲しいというか。

それだけではないんですが。その中で神様が色んな工夫を会議したり考案したりしているわけです。その中で習わしや風習が作られていったので、日本の風習や習わしは殆どが「祓い」や「魔除け」のためなのですよね。
日本は「清浄」を目指さないといけない国なのでしょうねおねがいキラキラだから「神国」といわれるのでしょう。

ホツマツタヱでは「清浄」を置き換えると究極は「アメミヲヤ」であり、リブログさせていただいた記事の中にもあるように「中心」というところにもつながるんですよねニコニコ

明後日はグリーフ・ケアの活動日ですおねがい
「子を亡くす悲しみ」を経て思います。
大きな喪失、強い悲しみ、は「中心」しか残らない。中心のまわりにくっついていた世俗的な価値を全部剥ぎ取られて価値のないものにさせられてしまう。残ったのは丸裸のまま泣いている自分でした。

今振り返ればそこまでにならないと、本来の自分に戻れなかったのかもしれません。そう思うと、亡くなった子の愛の大きさに敬服の念が募るばかり。

記事を分けるのが面倒で思いのまま話しがバラバラですがアセアセこのへんでニコニコアセアセ