本棚を整理していました
仏教のことは全くわからないけれど法事などのために一冊お経の本をおいておきたい、という事があれば、イチオシしたい一冊です。
著者の八木幹夫さんで検索してみたところ、詩人だそうです。
なるほど〜と、納得。
直訳的ではあるのですが、それがかえって個人的な主観を感じさせず、文章もやさしいので「これはなんだろう」と、つどつど考えることなく読むことができます。
特に悩める人にとっては、心にスーッとはいり共鳴してとても癒やされるのではないでしょうか
特に般若心経の訳は良かったです。2005年の本ですが「空」の意味って私はとても大事だと思うのですが「無いけれども在る」「幻の世界」「仮の世界」と思わせてくれるように訳してくださっています。
「空」というのは「0」や「無」ではない、と言われてもなかなかピンとこないと思いますがその部分が自然にわかりやすく理解できるようになっているところが素晴らしいです
「不生不滅」は、前回大祓祝詞の中の一文を取り上げさせていただいて「本刈断ち 末刈り切りて」を原因と結果だと書きましたが、こちらの本の
「不生不滅」の訳では全く同じ事を意味する訳となっていて神道との共通点に、国や宗教観は違っていても真というものはひとつなのだなと思わせていただきました
法華経も以前私が読んだ他の本とほぼ同じような訳になっています。私達は全員が仏(他の宗教や日本では神様)になる為に修行をしている中の、何千年何億年という歴史のほんの1ページにも満たない1行分くらい?程度しか修行ができていない存在だということもわかる人にはわかります。
如来も同じように私達と同じように人間世界で起きる全て喜びも苦しみの出来事も自ら体験をして、
長い長い間修行をし、すべてを知りつくしているからこそ人々を救うことが出来るのです。苦しみを知らずして救うようなことはまずないのです。
最初から如来だったのではありません。
(※ 日本仏教では、釈迦から、如来(にょらい)菩薩(ぼさつ)明王(みょうおう)天(てん)の順に末広がりに広がっている)
お地蔵様や観音様は「菩薩」となりこの世に留まっています。神様が不在の世の中(物質重視、自分の力を重視し、人々の心から神様から離れてしまった世の中のこと)でも「神様なんていない」と拒絶されたとしても絶対に離れないで「助けて」と呼ばれればすぐに飛んで助けに行くと言ってくださっています。そのかわり助けを求めなければ助けることができないので、わざとあの手この手で助けようとして苦しみを与えることもある、とちゃんとお経の中には書いてあるのです。
お経というものが亡くなった人のためだけでなく、今生きている私達のためにでもあるということがわかる一冊になると思います。おすすめです