**転送元のメール**
話はかわり、震災から6カ月後。
思想地図β2の巻頭から一部を抜粋。
「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」
いや、正確には震災前からぼくたちはばらばらだった、 震災はそれを明らかにしただけだと記すべきかもしれない。
東日本大震災は日本社会の抱えるさまざまなリスクを可視化した。
財政破綻の可能性について、地震の発生確率について、低線量被曝の健康被害について。日本は、もはや次の世代にとって生きやすい場所と言うことができない。
「それでもまあどうでもいいや」 「運が良ければなんとかなるさ」「どうせ考えてもしかたないし」
震災後のこの国ではそのような麻痺が急速に拡がっている。
おそらく原発は止まらないだろう。 津波の浸水地域にはふたたび町が作られるだろう。
借金まみれの公共事業が動きだし、高齢者ばかりの集落が次世代を犠牲にして再建されるだろう。
緩慢な死をまえにしたこの国において抽象的な思想の言葉になにができるのか、ぼくにはいっこうにその答えはない。
ただ震災について語らないよりは語るほうが、言論誌を出版しないよりは出版するほうが、 少しは「新しい連帯」の可能性が高まるのではないかと、闇雲に信じている。
願わくば、もういちど「考える力」が力を取り戻さんことを。 そして新しい連帯がこの国を救わんことを。
以前、ある方に教えて頂いた内容です。
僕の予備知識がゼロだったため、ざっくりした数字になりますが、 だいたいのイメージだけ伝われば良いかなと思います。
年間の収支
収入 44兆円 支出 90兆円
年間 -45兆円
現在の国債 900兆円
国民一人当たりで考えると、1200~1300万円を負担しなければならない。
国民の資産も平均して一人当たりにすると、1500万円
こんな感じです。
国債の総額が国民の全資産を超えた時、財政破綻するそうです。
ーーーー
震災復興には多額のお金が必要です。
ただ、その財源がいったい何なのかを知る必要があります。
結局は僕たちの税金ではないのか? もっと言えば、僕たちより下の世代の税金ではないか?
そう考えた時、
震災復興は被災者だけの問題ではなく、日本国民全員の問題だということに気付きました。
そして僕たちは、意識「する」、「しない」に関係なく、すでに震災復興に関わっている。