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過去の自分に希望を送る

昨夜の「初耳学」というテレビのゲストは星野源さんだった。

 

星野さんは二度の大病を経験しているのだけど、私はその苦痛と孤独、地獄を体験した数日間を記したエッセイも読んだけど昨日のお話はなかなか興味深かった。

 

『僕が音楽をやる意味はない。(自分にとって音楽をやるのは楽しいことだから)

あの日100%絶望した自分に対して、今の「楽しい」を更新していくことが出来る励ましになっているんじゃないか。過去の自分に対してはそういう責任がある。』

 

どうも時間は未来から過去へと流れているらしいので、芸術家でクリエイターの星野さんは無意識にそういうこと理解されているのかなと感じました。

 

ハッピーちゃんが言ってた私が指針としてる言葉。

『究極の「今」を癒していったら過去もインナーチャイルドも自然に癒える』

 

時間は「今」しかないんだから。過去も未来も捨てて「今」を楽しむしかない。

共感過剰な日本社会

内田樹さんの「日本習合論」読みました。

 

現代日本社会は共感過剰で、理解と共感に基づく共同体はつらいよって話。

日本人は場の親密性・満場一致を偏愛する。

今流行の同調圧力。

 

でもさー私なんかもそうだったけど同調圧力に屈せずにはいられない性格を

育まざるを得ない経緯もあるのです。

とはいえ3・4年前から「私は私だ」でいこうと決めた。

 

内田先生は合気道と哲学の先生らしい。

身体感覚が明晰なので肚で解かるみたいなことあるんだろうな。

有名な「考えるな、感じろ」ってヤツ。

 

思考で生きすぎたせいか今つらたんな私。

 

なるようにしかんらんと宥めつつ身体の痛みに凹む日々。

でも今日はレンコンのきんぴら作れたよん。

レンコンは免疫力上がるらしい。

瞑想のやり方(備忘録として)

成瀬雅春先生の「瞑想法の極意」より

 

自分の内部に意識を向けて、心を落ち着けて瞑想することで、

正しい答えを引き出すことができるのである。

人生のあらゆる問題について、正しい答えが引き出せたなら、

宗教にすがったりする必要がなくなるのは当然のことである。

 

目を閉じると「真っ暗になる」とか「何も見えなくなる」というのは

誤った常識でしかない。実際には目を閉じてもいろいろなものが見える。

このことをしっかりと認識したうえで瞑想をしないと、幻覚に惑わされたり

魔境に入ったりするようなことになる。

目を閉じて、目の前をしっかりと認識することは非常に重要なのである。

 

ほとんどの人の勘違いは「雑念が浮かぶことがいけない」と思っていることだ。

ところがどんな瞑想の達人でも、聖者といわれる人でも雑念は生じる。

問題はその雑念をどう扱うかで、うまく瞑想できるかどうかが決まってくるのだ。

どんな雑念が浮かんでも、それを的確に見出し、冷静に観察することができれば

瞑想は確実に深まる。

 

カルマを本来の意味通りに解釈して、すべての行為とその結果を吐く息とともに

身体の外に出す。

 

自分の中にあるあらゆるものが出ていくことで、自分の存在感が希薄になり

純粋状態に近づくことになる。

 

瞑想の練習として「想念の観察」を開始する。

つまり「今自分が何を思っているのか」ということをしっかり観察するのである。

 

唯一信じられるとすれば自分自身であり自分の内部から出てくる答えが

本当の答えだと思っている。

 

本の抜粋はここまで。

 

瞑想習慣づけたいのだけどなかなか苦手なのです。

集中できない、雑念に耐えられない、要はソワソワする。

今日は体調すごく良く朝からこのようなブログが書けて嬉しい。

瞑想とかヨーガを習いたい。

 

>自分の中にあるあらゆるものが出ていくことで、自分の存在感が希薄になり

>純粋状態に近づくことになる。

ここの部分、ホ・オポノポノの概念と似ていますね。やっぱり常に自分の中には

一切のものを溜め込まず、クリアにしておくの重要なんだな。

「断捨離」ってーのは物理次元からのクリア術ということか。