何かしらの夢をみて、目が覚める。
何の夢をみていたのかは、速攻忘れていた。
残ったのは、何となくさみしいような。
わかったような…
よくわからない感情。
でも、この感情が、大切なんだよな~という想いが残っている。
振り返ると、どちらかというと恐れであるとか、不安であるとか、ネガティブといわれる感情を絶えず感じながら歩いて来た。
それがあったから、幸せを幸せと感じられる。
自分の周りに絶えず「ある」幸せに氣づく。
そこに人がいてくれたから、その感情を味わうことができた。
その感情を体験できた。
自分が知りたいと思っていたことへの道筋を引いてくれた。
この、わけのわからない感情さえも大切だと想える。
この、わけのわからない感情をじっと感じながら、パソコンを打つ。
すると、わけのわからない感情の意識とつながっていくような感じになる。
感情は、何かを伝えたいのだろう…
「なぜ、その感情を私に伝えたの?」と語りかけると、
何も言わないけれど、そのうちホッとする瞬間が起きる。
すかさず、ねこが察知してわたしの膝に乗ってくる。
今朝の感情はとても大きな塊で、まだ、私の中にあるけれど、納得したら大人しくなることがわかっている。
この地球は、
様々な感情を「体験」できる唯一の場所だとすると…
あまり「体験」したくない、ネガティブな感情を味わうことさえも、本当は、貴重な体験なのかもしれない。
その感情を体験するのに誰か相手がいたとしたら…
その相手にさえも芯(真)の部分では、「体験させてくれてありがとう」の世界なのかもしれない。
自分が「体験したくて」、それを「招く」のだから。
無意識だとしても
自分発信なのだから…
だとすると…
今朝みたいに、わけのわからない感情もしっかり氣づいて、感じてあげて。
切り替える「行動」をすると忘れていく。
その感情にずっととどまっていないこと。
外に出ること。
自然にふれるのがいい。
自然に純粋なエネルギーをもらって!
…同じ生き物だからね~
今日も、思うがまま書いてみました。
今日も、佳い日にしましょう。
今朝感じた「わけのわからない感情の塊」はもう小さくなってきましたよ~
ありがとう!
何かしらの夢をみて、目が覚める。
何の夢をみていたのかは、速攻忘れていた。
残ったのは、何となくさみしいような。
わかったような…
よくわからない感情。
でも、この感情が、大切なんだよな~という想いが残っている。
振り返ると、どちらかというと恐れであるとか、不安であるとか、ネガティブといわれる感情を絶えず感じながら歩いて来た。
それがあったから、幸せを幸せと感じられる。
自分の周りに絶えず「ある」幸せに氣づく。
そこに人がいてくれたから、その感情を味わうことができた。
その感情を体験できた。
自分が知りたいと思っていたことへの道筋を引いてくれた。
この、わけのわからない感情さえも大切だと想える。
この、わけのわからない感情を大切にじっと感じながら、パソコンを打つ。
すると、わけのわからない感情の意識とつながっていくような感じになる。
感情は、何かを伝えたいのだろう…
「なぜ、その感情を私に伝えたの?」と語りかけると、
何も言わないけれど、そのうちホッとする瞬間が起きる。
すかさず、ねこが察知してわたしの膝に乗ってくる。
今朝の感情はとても大きな塊で、まだ、私の中にあるけれど、納得したら大人しくなることがわかっている。
この地球は、
様々な感情を「体験」できる唯一の場所だとすると…
あまり「体験」したくない、ネガティブな感情を味わうことさえも、本当は、貴重な体験なのかもしれない。
その感情を体験するのに誰か相手がいたとしたら…
その相手にさえも芯(真)の部分では、「体験させてくれてありがとう」の世界なのかもしれない。
自分が「体験したくて」、それを「招く」のだから。
無意識だとしても
自分発信なのだから…
だとすると…
今朝みたいに、わけのわからない感情もしっかり氣づいて、感じてあげて。
切り替える「行動」をすると忘れていく。
その感情にずっととどまっていないこと。
外に出ること。
自然にふれるのがいい。
自然に純粋なエネルギーをもらって!
…同じ生き物だからね~
今日も、思うがまま書いてみました。
今日も、佳い日にしましょう。
今朝感じた「わけのわからない感情の塊」はもう小さくなってきましたよ~
ありがとう!
いつからでも
どこからでも
自分らしく
歩き出せる
いつからでも
どこからでも
自分らしく
歩き出せる