こんにちは
ターくんです👋
コロナやサル痘に、連続の台風、本当に一国何とやらの様相を呈してますが皆さんいかがお過ごしでしょうか😌
さて、今回は富士大石寺顕正会という教団について考察をしていきたいと思います👀
皆さんも駅の近くなどで顕正新聞と表記されている読み物を配っている人達の姿を見かけたことがあるかと思いますが、あの方々が所属して信仰している教団が「富士大石寺顕正会」という教団です。
この顕正会は日蓮正宗・妙光寺(品川にある正宗寺院)の講員であった浅井甚兵衛氏(現・顕正会会長 浅井昭衛氏の実父)が昭和17年4月に「東京妙信講」として講をおこした所からはじまっています。
しかし、当時からかなり主張する方々であったのか、品川妙光寺〜豊島教会妙国寺。
妙国寺〜豊島区法道院の法道会法華講と宗内を渡り歩く日々が続きます。
その後、法道会からも離脱して「妙信講」を再建し昭和33年1月に65世・堀米日淳上人から正式に「妙信講」との認可を受けています。
時は流れて昭和42年創価学会が中心となり正本堂の建立寄進が進んでいきますが、妙信講もこの建立供養に積極的に参加をしています。
ところが、昭和44年か5年あたりから
正本堂が日蓮大聖人御遺命の国立戒壇だと❓ということで妙信講は宗門の役僧と学会に対して「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」なるものを書いて宗門と学会に送付したり、66世・細井日達上人に対面を要求しては御遺命の戒壇との文言を撤回せよなどと要求していきます。
かつては学会も王仏冥合(仏法の説く慈悲の心をもって政治を行うこと)を目指し、化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立であると述べて指導していたことがあったわけですが、
昭和45年に共産党が「国立戒壇は国から特権を受けることになり憲法20条に違反する思想である❗❗」などと騒ぎ出したために「国立戒壇論」が大きな問題にまで発展したことがありましたが、
その後は民衆立の戒壇が時代に相応しいとする見解を学会は示していきます。
妙信講(顕正会)は「学会が大聖人様の御遺命を捨て去り、さらに御法主上人まで誑かして正本堂を御遺命の戒壇としようとしているのだーー💢💢💢」と、さらに不満を募らせ行動も過激になっていきます。
色々と学会も宗門も譲歩した点はあったようですが、執拗に国立戒壇に拘り抗議文、討論申し入れ書、決議文を学会に送り続けるなどの行為を繰り返し一向に強行な態度を改めないため、昭和49年8月12日、日達上人は妙信講に対し講中解散処分の決定を下します。
これを不服とした浅井甚兵衛・昭衛父子率いる妙信講青年部70名は同年(昭和49年)10月4日の夕刻に突如街宣車で学会本部に押しかけ「学会幹部に抗議しにきたぞーー❗❗会わないと言うなら実力で会ってやる❗❗」と叫び、学会本部内にまで侵入し、それを防いで守ろうとする牙城会と乱闘騒ぎとなり妙信講講員12名が逮捕されるという事件までおこしています。
(当時の事件の様子)
同日夜に学会の和泉理事長(当時)は
「元妙信講は国立戒壇を主張する狂信的過激派で、同信の徒を中傷するなど秩序と統制を乱す行為のため八月十二日宗門より解散処分となった。教義上の問題は宗門と話し合うべきであり、信徒なら宗義に従うべきなのに、このような暴挙は信仰人にあるまじき行為である」との声明を発表。
この学会本部襲撃事件が決定的となり11月4日、宗門は妙信講講頭・浅井甚兵衛氏、理事長・浅井昭衛氏、その他幹部33名(後に全ての信徒)を除名処分、つまり破門としたわけですね。
現在、顕正会では破門の理由を大聖人様の御遺命である国立戒壇建立の正義を主張したからである❗❗😤
と指導しているわけなんですが、
妙信講破門の真の理由はそうではありません。
仏教では五逆罪というものが説かれています。当時の学会と妙信講は日蓮正宗に属していた同信の関係です。
その同信である学会を襲撃したことは五逆罪の一つである「破和合僧」という大変な重罪にあたるのです。
以前に学会の同志から顕正新聞を読んでいたら具合が悪くなり暫く体調が戻らなかったという話しを聞きました(外部の方々にも同じ体験談が山程あり)。
その因は、破和合僧の重罪を犯した教団のものだからじゃないのかと僕は強く感じたのですが、、、
元妙信講顕正会の皆さまはこの因をどう思われますでしょうか😓
さて、破門となった妙信講は昭和53年に埼玉県和光市に「顕正寺」を建立して同じく昭和49年に宗門から擯斥処分された僧侶・八木直道氏(現日蓮正宗統監・八木日照氏の実父で後に宗門に復帰)を住職に据え、
また「宗教法人顕正寺顕正新聞社」を設立して浅井昭衛氏が会長に。
昭和57年には日本武道館で総会を開き名称を「日蓮正宗顕正会」に変更。
平成8年11月18日には文部省から認証を受けて「宗教法人顕正会」発足。
同年12月22日の総幹部会の場で「富士大石寺顕正会」に名称変更すると発表して現在に至ります。
平成16年には『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』(浅井昭衛著)を刊行して顕正新聞とともに駅頭で配布。
そして、今もなお大聖人の『三大秘法抄』にある「勅撰・御教書を申し下して…」との御文を、国家による重大な意思の表明であるとして「国立戒壇建立」に強く拘り活動を続けている顕正会、、、
なぜそこまで執拗に拘るのでしょうか🙁
次回後編では、Twitterで知り合い現在もDMで交流を継続している顕正会員「成仏」さんという方をご紹介しながら、
顕正会がなぜ「国立戒壇建立」に執拗に拘り続けるのかを考察していきたいと思います
m(_ _)m


