ターくんです👋
顕正会についての考察
後編です。
僕がTwitterを始めたのは令和2年10月からでした。
日蓮正宗67世(自称)の方に関するツイをしたことがきっかけで法華講員の人達と喧々諤々の法論めいたことをしたり、それはもう散々に醜いものでしたが😓
他にも日蓮宗的教学に傾倒していた美奈さんという学会女子部(現在は女性部)の方とのやり取りが縁で日蓮宗の僧侶の方とも様々にやり取りしたりしていたわけですが、そんな時にある一人の方が僕のツイにリプをくれました。
その人は「成仏」さんという顕正会員の方で、「顕正会も広宣流布してます……」
確かそんなようなリプであったと記憶しています。
成仏さんはとても常識のある方で、この人ならお互いに冷静なやり取りができるだろうと本尊論、題目論、組織論と様々なやり取りを続け現在でもDMで交流を継続しています。
ですが、「戒壇」に関してだけは互いに意見が合いません、、、
まぁ、お互いに所属している組織が違いますから当然といえば当然なのですが😔
顕正会は日蓮大聖人の『三大秘法抄』の中にある「勅宣並びに御教書を申し下して…」との御文が国家による重大な意思の表明であるとして、「国立戒壇建立」に執拗に拘り続けて主張をしている教団です。
しかし、『三大秘法抄』の「勅宣並びに御教書を申し下して…」との御文は国家による重大な意思の表明という意味ではありません。
「勅宣」とは天皇の命令による「宣旨」と上皇による「院宣」の総称で、「御教書」というのは三位以上の公卿とそれに準ずる者の意志を側近が出す奉書形式の文書のことです。
なので大聖人がいわれている「御教書」とは幕府が発行する「関東御教書」のことを指します。
「勅宣」「御教書」どちらも公文書ですが、
通常の問題に関する命令書であって「下知状」のような最重要事項に関する命令書とは違います。
従って、「勅宣並びに御教書を申し下して…」とは国家による重大な意思表明ということではなくて、通常の命令・決定および手続きを示す公文書の発行という意味になるんですね。
大聖人が『三大秘法抄』で述べられていることはあくまでも伝教大師・最澄の法華迹門円頓戒壇建立の先例にならっていわれていることであって、戒壇建立の手続きを示されているに過ぎません。
そもそも「国立戒壇」という用語は、元・日蓮宗僧侶であり後に還俗して「立正安国会」「国柱会」などを設立した田中智学(文久元年11月13日誕生〜昭和14年11月17日没)が『宗門の維新』(明治34年刊行)という著書の中で最初に使用した用語であり、日蓮正宗の用語ではありません。
田中智学
ではなぜ日蓮正宗は「国立戒壇」との用語を使用していたんだよ🤨❓と、顕正会の人達は当然こうなりますね。
その理由はいたって簡単です。
田中智学は戒壇が建立された際に安置する本尊について「一宗模範正式本尊たる佐島始顕大曼陀羅の御正筆を奉安し……」(宗門の維新)と、このようにいった。
これに対して日蓮正宗は「何を言っておるか❗❗国立戒壇が建立されるのであれば、その国立戒壇に安置すべき本尊は、大石寺の本門戒壇の大御本尊以外にはないではないか❗❗」
こういう議論の末から日蓮正宗宗門も「国立戒壇」との用語を使用するようになっただけで、古来からの宗是でもなんでもありません。そして今は「所詮は邪教の用語」として日蓮正宗も完全否定している。
「おいおい待て❗歴代も国立戒壇と言っているじゃないか😡😡😡❗❗」こんな反論が顕正会から聴こえてきそうですが、日蓮正宗法主で「国立戒壇」との用語を使用した法主は堀日亨、水谷日昇、堀米日淳、
細井日達の4方だけです。
「学会も化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立だと言っていただろーー❗❗🤬🤬🤬」
当時は日蓮正宗創価学会の時代で、宗門の教えを尊重して弘教の便宜上、「国立戒壇」との用語を使用していただけであって、化儀ですから時代とともに変わっていくのは当たり前の話しではないかと。
顕正会はどうも「化法」と「化儀」があまり理解できていないのではないか❓
顕正会員の成仏さんと戒壇論について話しをしていてそう感じることがしばしばでした。
さて、国立戒壇に拘り続けて活動をしている顕正会ですが、その活動実態を覗いてみるといまいち本気で国立戒壇を目指しているとは思えない節がたくさんあります🤔
現状、日本の憲法下で国家が認可するような戒壇を建立することは絶対に不可能なわけです。であるならば、憲法改正を目指す政党でも作ってその実現のために動いていくとか、後にも先にも本尊流布が大事なのだから本尊流布に力を入れるとか、会員に御書を与えて三大秘法抄の研鑽をさせるとか、まったくもって顕正会ではこれらのことが行われていません。
成仏さんの話しでは、顕正会の広宣流布が進めば自然とそうなっていくのだから今は必要がないんだということでしたが、駅頭で新聞などを配布しているだけでは広宣流布とは言えませんし、国立戒壇建立など夢のまた夢で終わってしまうのではないでしょうか。
顕正会の問題点をあげれば切がないのですが、
①信仰の根本である本尊を全会員に授与しない(遥拝勤行で大石寺安置の弘安2年の大御本尊を拝めるから必要がない…)
②過去に浅井会長による御書発刊の発表があったがいまだに発刊されていない(理由の一つとして、泳ぎのできない者が御書を読んでも、、、という浅井会長の指導がある)
③御書『三大秘法抄』の解釈が浅井会長独自の解釈であり、会員はその指導のみを教えられるだけで、秘法抄の真の意味を知らされない。
まぁ、3点に絞ればこんな感じになりますね。
一番の問題はなぜ国立戒壇建立に顕正会員は執拗に拘るのか❓ということに尽きると思います。
国立戒壇建立を信じているのは会員だけで、当の浅井会長や側近幹部たちはとっくにその気がないんじゃないか、、、
前述したように、『三大秘法抄』の「勅宣並びに御教書を申し下して…」が国家による重大な意思表明でないことは御書を拝しても明らかです。会員に本当の意を知られては不都合だから御書を発刊せずに浅井会長の独自解釈講義で会員に信じ続けさせている🤔
そして今更撤回できない状況に顕正会は陥っているのではないかと。
因みに顕正会員の成仏さんは現在は活動からは離れています。体調をくずされていることもありますが、顕正会の教義に少なからず疑問を抱いていることも関係していると思います。
成仏さんに限らず、他にも顕正会に対して疑問を持っている会員はたくさんいるはずです。
浅井会長の次にどなたが後を継がれるのかはわかりませんが、次の代で顕正会が国立戒壇論を放棄するのではということも十分に考えられます🤔
顕正会と令和2年に共闘を誓った「富士大石寺正信会」という宗旨、この団体は日蓮正宗正信会から分裂した団体で顕正会と同じく国立戒壇建立を目指してはいますが、
何ぶん弱小教団です。
失礼ながらそんなに長続きはしないと思います😑
もし、顕正会のトップである浅井会長と側近の幹部の人達にもはや国立戒壇建立の意思がないとしたら、一番可哀想なのは信じ込まされている成仏さんたち顕正会会員の人達です、、、
さて、今後の顕正会はどうなっていくのでしょうか。
終
