ターくんです👋
暑さ寒さも彼岸までなんていいますが、まだ暑さを感じるのは僕だけでしょうか😓
さて、今回は丑寅勤行のことについて書いてみたいと思います。
なぜ今頃に丑寅勤行かといいますと、
Twitterで丑寅勤行について「深夜勤行という言い方はどうなのか❓」という内容のやり取りを目にしたからです。
僕も学会4世ですが、深夜勤行という言い方は生まれてこの方聞いたこともありませんし、
ずっと丑寅勤行で認識してますからヘェ~そんな言い方もあるのかと🤔
でもどなたが深夜勤行と仰ったのと(・・?
それ以前に、男子部世代では「丑寅勤行」
自体を知らないという人達もいるでしょうし、
そういう人達が「深夜勤行」と聞けば、なるほどな深夜に勤行することかと😳
何の意味もわからずにそれが罷り通ってしまうのも問題があるだろうと感じますので、
ここであらためて丑寅勤行について調べていこうと思います👀
そもそも「丑寅勤行」は日蓮正宗が化儀(衆生を教え導くための行い)として古くからやってきている広宣流布を祈願する儀式なんですね。
いつ頃の時代に始められたのか❓
大聖人や日興上人の時代からあったのか❓
それは明確でないため残念ながらわかりません。
また儀式といっても儀式化されたのは後々のことで、
もともとは大石寺山内の5ヶ所、天壇・本堂・御影堂・客殿・墓所などを大石寺貫主がまわり一座づつやって朝の勤行(5座)としていた。
それが江戸時代の初期頃になって1ヶ所でやるようになったわけですね。
時刻も「丑寅」だから午前2時〜4時にやっていたのかと思うと、どうやらそういうことではなく、午前0時にやった人もあれば1時、2時とばらばらで自由だったようで。
江戸時代以降になると「丑寅なんだから2時〜4時に決まってんじゃねーか❗❗」てなことで暫くはこの時刻にやるというスタイルが定着していくわけですが、因みに66世・日達上人の時代は午前0時〜行われていましたね。
この時代にお山に登山して丑寅勤行に参加された方々はよくご記憶のことと思います🙇♂
広宣流布と世界平和の祈願をするというのが丑寅勤行の目的ですから時間などは重要ではないということなんでしょう。
67世(自称)の方の時代からは午前2時30分〜に変わっていますから。
まぁ、この方が真剣に広宣流布と世界平和の祈願をしていたのかどうかはここでは一々述べませんが😑
日蓮大聖人は「丑寅」について
「三世の諸仏の成道はねうしのをわり・とらのきざみの成道なり、仏法の住処・鬼門の方に三国ともにたつなり」
(上野殿御返事 )
として、「丑寅」の時刻には深い意義があるんだよといわれていますね。
釈尊がブッダガヤの菩提樹の下で成道したのも丑寅の時刻。
大聖人が竜の口の法難で発迹顕本なさったのも丑寅の時刻。
これを考えるとやはり時刻は大事かなとは思いますが、一つ注意したい点があります。
大聖人は「丑寅」に深い意義があることは言われていますが、この時刻に勤行しなさいとは一言も言われていない、、、
つまり丑寅勤行をしなさいとは一言もいわれていないということですね。。
であるなら、各人の信心でやれば良いことですし、わざわざ堅苦しく定義を定めてまでやることではないと僕は思います。
何よりも祈るというのがとても大事なことなわけですから時刻を気にする必要もないでしょうし、丑寅勤行を「深夜勤行」と言うのもその人個人の自由で良いとは思います。
それに昔ならともかく、現在では他宗の化儀となったことですから、そんなに学会員が難しく考えることでもないんじゃないのかなというのが、今回Twitterで「深夜勤行」のことを目にして思った感想です🤔
でも確かに「深夜勤行」という言い方には違和感が、、、
それではまた👋😅
