行雲流水

行雲流水

華は散るから美しい

あの頃、恋や愛や、好きという感情も知らなかった。
でも「12月の唯」を読んだとき、胸の奥がじんわりと痛んだ。


マフラーを手渡す唯の姿に、言葉にできない感情が流れ込んできた
別れって、こんなに静かで、こんなに優しいものなのかと、子どもながらに感じた。
今思えば、あれが初めての“切なさ”だった。
 

ページを閉じたあとも、唯の表情が心に残っていた。
大人になった今でも、冬の風に吹かれると、あのマフラーのぬくもりを思い出す。
 

あれは、恋を知らない僕に、恋の予感を教えてくれた物語だった。

 

捨てられなかった絵本があった。

検索してみたら出てきた。

 

『やっぱりおおかみ』

  • 作・絵:佐々木マキ
  • 出版社:福音館書店
  • 初版発行:1977年

 

絵本『やっぱりおおかみ』(佐々木マキ作)は、孤独で反骨精神を持つ黒いオオカミが「けっ」とつぶやきながら街を歩く姿を描いた、風刺とユーモアが融合した作品である。

オオカミの「けっ」という言葉には、社会への不満や疎外感が込められており、子ども向け絵本でありながら、子どもの心に刺さる内容だった。

佐々木マキ特有のシュールな絵と簡潔な言葉が、主人公の内面を巧みに表現しており、読む者に「自分らしさとは何か」を問いかける。

 

当時は意味が分からなかったが、なぜか共感しながらさみしい気持ちになっていたのを覚えている。

40年以上経った今もなお、時代を超えて心に残る一冊である。

 

主人公が目覚めると、家族が忽然と姿を消していた。

町を探しても大人は誰もおらず、友人の数人の子供たちだけが残されていた。

町は異様な静けさに包まれ、ネズミが異常に増え、電車は素通りするなど、現実とは思えない状況が続く。

子供たちは食料や電気のない町で協力しながら生き延びようとするが、次第にこの町が四次元空間のような異世界であることが明らかになっていく。

 

彼らは不安と恐怖の中で、元の世界に戻る方法を探し続ける。

1977年に週刊少年マガジンで連載が開始されました。

当時は楳図かずお『漂流教室』1972年(昭和47年)小学館『週刊少年サンデー』にて連載されていましたが、同じ漫画だと勘違いしていました。

 

『闘犬カイキオー』は、木村えいじによる昭和の青年漫画で、闘犬という過酷な世界を通して人間の欲望と動物の尊厳を描いた作品である。

 

物語は、無類の強さを誇る闘犬横綱・カイキオーが、戦争の勃発により処分される運命に直面するところから始まる。

調教師の宰じいさんは、カイキオーを不憫に思い、雌犬とともに人里離れた山奥に放つ。

彼は「二度と闘犬を育てない」と誓うが、時を経て孫のオサムがその誓いを破り、強い闘犬を育てるためにカイキオーの子孫を連れ帰ってしまう。

宰じいさんは葛藤しながらも、再び闘犬の世界に足を踏み入れることになる。

物語は、闘犬の特訓、他流試合、血の猛特訓などを通じて、犬たちが人間の道楽のために命を賭けて戦う姿を描く。

その中で、犬たちの哀しみや誇り、そして人間の業が浮き彫りになる。

 

『闘犬カイキオー』は、単なる動物バトル漫画ではなく、命の尊厳と人間の責任を問う社会派ドラマとして、読者に深い印象を残す作品である。

『闘犬カイキオー』のラストは、主人公犬カイキオーが横綱の座を獲得した後、忘れ山へと帰っていという静かな幕引きで終わえる。

 

人間と機械、そして神との壮絶な戦いを描くSF叙事詩である。

 

9人の改造人間たちが、兵器として造られながらも、人間としての心を持ち、自由と平和のために戦う。

戦いは単なる組織との対立を超え、宇宙の理や神話的存在との対峙へと広がる。

 

特に「神々との戦い」編では、神の力を持つ存在が人類を裁こうとする中、009たちは人間の尊厳と可能性を武器に立ち向かう。

これは、科学と神話、運命と自由意志の衝突を描いた壮大なテーマであり、「人間とは何か」という問いに挑む物語である。

 

『サイボーグ009』は、テクノロジーの進化と倫理、そして人間の魂の強さを描いた、時代を超えて響くロマンである。