75/100 ひろこ徒然なるままに 自分で決断 | ひろこ徒然なるままに〜笑いながら生きていく偉業を書き記す〜

ひろこ徒然なるままに〜笑いながら生きていく偉業を書き記す〜

9年前の自分自身で書いたFacebook過去投稿に学ぶこと、気付くこと、癒されることの多さに驚いた。今度はブログに書き記しておくことにした。このブログは未来の私への贈り物。タイムカプセルブログである。

次男が保育園児だった頃は
インフルエンザのワクチンを
打ちに行くのが大変でした😂
注射を打つ前から、
小児科の待合室で泣き出す😂

診察室で先に打たれて
大号泣している、よその子を見て
つられて泣き出す🤣

逆に長男は、次男が生まれてから、
どんな注射を打っても泣かなくなった。
俺は兄貴だから泣かない、みたいなのが
あったのか、なかったのか、わからないけど。

小学校に入ってからの次男は、ますます
インフルエンザのワクチンを打ちに行くのが
難しくなり🤣
そして私はあきらめた。
本人がそんなに嫌ならやめとくか、と。










2011年3月11日(金)次男が保育園年少のとき、
あの大きな地震が起きた。
狭いホールに全園児が避難をしたせいか
翌週インフルエンザが保育園で猛威をふるった。
我が家の長男次男も、地震の翌々日、
日曜日から高熱を出してインフルエンザに。



おかげで私は地震後一週間以上、
家を出ることなく、仕事を休むことができた。
あの時は、放射能だのなんだのと、
家を出るのが怖くて仕方なかったから
二人がインフルエンザになってくれて
私は救われたと思ってる。



そしてこの時から数年、我が家の2人は
インフルエンザワクチンを
打ったり打たなかったり、、、
どっちにしても、インフルエンザとは無縁で
何年か生きてきた。



ところが、次男は小学校6年の、
ミニバス最後の都大会の時に
数年ぶりにインフルエンザになる、
というまさかの事態が起きた😂
なんてこった、、、



そして、その次の年から、
自ら望んでワクチンを打つようになった。
そして今日、中3になった彼は
自ら望んで、コロちゃんワクチンを
打ちに行ったのでした。



高2の長男は絶対打ちたくない派。
ちょっと前まで、次男もそっち派だった。
周りの友達とか、ネットの情報とか、
あと、これから先、スポーツを続けたくて、
病気のせいで試合に出られないとか、
避けたいとか、いろんな思いがあったようで、
彼なりに考えた末、出した結論。




長男は、そうか、お前は打つのか。
無事を祈ろうじゃないか、と一言。
次男は、うん。行ってくるわ。と。一言。
そんなやりとりを見た私。
このやりとり、私の理想かも。



世の中で、ワクチンについて、
あーだこーだ言い合い?
攻撃的なこと?そんなんじゃなくて、
お互いの考えを尊重、いやいや、
尊重なんて重いものでもなくていいのだ。
あ、君はそっちがいいのね。
うん、僕はこっち。て、程度の話。


接種会場に一緒に行ったんだけど、
問診もスムーズだし、
打つ時もあっさり打って終わりだし、、、


あんなに泣き叫んで
やーだー
こーわーいー
助けてーー
ぎゃーーー


て、小児科で泣き叫び、
私と看護師さんにつかまれて、
涙と鼻水でぐじゃぐじゃになって
インフルエンザワクチンを打っていた
あの小さい人は、もういなかった🤣


『もう泣かないんだね』
と、つぶやく私に、
ニヤリと笑う次男。
副反応が軽く済むことを祈るのも忘れるくらい
元気にバスケをしに行こうとするし😂

おいこら、当日は運動やめてください、て、
言われたでしょうよ😂

自分の意思で、自分の考えで生きていく。
どんなに私が心配したって、
この人はいつだって、
根拠のない強い強い《大丈夫》の種を持っている。
だからきっと、大丈夫☺️