しかし、その頃の私は
非常に良くない子供だった。

家には、金銭的余裕はまったくなく、お小遣いなんて物はなかった。

クラスの友達は
可愛いペンや消しゴム ノートを持っていた。

私も欲しかった。

その頃の私の1日は
学校から帰ったら
木曜日は生協を受け取り行き、後はお米を洗ってお風呂を沸かした(うちは中学校まで下からマキで沸かしてた)

そんな私が覚えたのは
ビンを売る事だった。

家の倉庫に昔のジュースビンが大量にあって
それを近くのお店まで持って行くと結構なお小遣いになった。

しかしビンが底をついてしまった。

続きは、また明日!!

もし、見てくれた方がいたら、とても嬉しいです。

で、何が言いたいの!? って思うと思いますが 最後まで語らせて下さい
父親は、その間も働いたり働かなかったり。

大抵2ヶ月働いては残りをぐうたらと過ごす。というサイクル。

実家は瓦屋だったので父親は祖父から技術は受け継いでいたので、働いては辞めてを繰り返していた。

二年後、母は見つかった。
実家によく無言電話があった。
私は四年生になっていた。
ある日私は、無言電話に「お母さん?」と問いかけたのがキッカケだった。(後から聞いたら母はくもまっかしゅっけつにかかっていて、手術する際に連絡があり、またも祖母は隠していたらしい)

そこから、母親とは電話連絡とれるようになった。
小学校一年生から
母親は父親と別居し始め、平日は学校、土日は母親の家に泊まりに行くのが習慣だった。

日曜日の夜、母親に実家まで送ってもらい
その後、何度姉と一緒に母親の足に二人でしがみついて
「帰らんといて」と泣いてせがんだか。

そして、小二のある日事件は起きた。

私は、どうしても母親に会いたくなり自転車で三時間かけて会いに行った。
当時母親は、会社の寮に住んでいた。
同居のお姉さんもいた。
母親が住んでる寮に行ってみて、インターホンを押しても誰も出て来なかった。

お母さんと呼んでみてもダメだった。

いつも笑顔でいてくれた同居していたお姉さんは部屋にいるのに答えてはくれなかった。

近くで父方の叔母が働いていたので、そこによりお母さんがいないと話をした。

その後調べてもらうと
母親は荷物も置いたままで行方がわからなくなっていた。

どうやら祖母は隠していたようだった。