Sランク
外野手 国内新人選手Sランク外野手リスト
出身地 中国・四国 
成長 早熟 遅め

初期値評価

初期からかなり完成されている能力をしている。

打撃に関してはもうクリーンアップを任せられるものを持っている。チャンスも選球眼もBと新人にしては打撃技術的な部分も高いので上位を任せるべし。

走塁も高いのだがこちらは盗塁が低いため成長に期待したい。

守備に関してはまだまだな部分があるのでこちらも試合で使っていきながら育てていけばいい。足はあるので守備範囲はそこそこになる。

ちなみに一年目キャンプを終えたのがこちら。

長打力がなんと1年目からAに到達している。

他の能力も軒並み上昇しており、最初は不安要素であった守備も見れるものにまで成長している。

4番レフトくらいでも問題ないのではないだろうか。

 

全盛期評価

初期値とあまり変わらない。

所々能力値が上昇しているがもともと完成されている選手なので、成長した感触が薄い。

打撃は文句なし。走塁も盗塁がBになったので20盗塁くらいは狙える。守備も平均的なまでに成長したくらい。

まぁ2年目くらいからこのくらいなのでかなりありがたいといえばありがたいのは間違いない。

 

成長遍歴【初期値→スタメン定着→全盛期→衰えピーク】

 

ゲーム中の成績【キャリアハイと通算成績】

通算成績取れてません…すいませんm(__)m

ただ一年目から安定して↑画像のような成績を残すのでそれが10年間。

通算で.300 400HR 1100RBI 1800H 150STくらいの成績を残せる。突出した成績を残すというほどではないが一年目から安定した一定の数字を残せるので通算ではまとまったものになる。もう少しだけ現役が長ければ…と思いところもあるが

 

私的評価【野手】

打撃 A 3割30HR100打点は毎年狙える。40HR越えも
守備 B 平均的な能力と走力があるので総合して平均以上に
走塁 C 走力はあるのだが盗塁が低いので貢献度は低い
コスパ C 4億くらいは行く。盗塁しない分高くはならない。
即戦力 SS 一年目キャンプで完成されているという神
活躍期間 B 初期値高めで10年は持つ。記録更新は無理そう

総合評価 A


一年目時点でここまで全体的に完成されている選手というのはそういない。特に打撃面では長池に勝る選手はいない。
別に守備走塁も打撃に比べて不安定というほどでもないので誇張表現抜きで一年目からレギュラーOKである。最終的な完成度は物足りなく感じるだろうが、そんな不満も強くならないほど一年目からお世話になる。序盤に獲得できれば必ずチームを救ってくれるだろう。

 

やきゅつく2003選手リスト一覧

この選手について

長池徳士 日本プロ野球記録様

阪急一筋14年。右の大砲として名をはせた

ミスターブレーブス。

1967年から1975年にかけて阪急の不動の四番打者を務め

通算338本塁打を記録。本塁打王に3回、9年連続で25本塁打以上を記録するなど阪急を語るには外せない選手である。

 

高校時代はセンバツに出場経験があるものの夏の甲子園には出場せず。3年生の時に南海の入団テストを受けたが不合格。この時当時の鶴岡一人に「(要約)大学で鍛えろ」

と言われ法政大学に進学。卒業後に南海に入団するはずだった。在学中には優秀な成績を収めて南海に入団するはずだったが、ちょうど長池が卒業する年にドラフト会議が実施される。

結果長池は阪急ブレーブスに1位指名される。

この時南海だったら3000万で契約できたところを

1000万にまで抑えられ、入団したい球団にも入れず契約金もケチられたという散々な目にあわされる。

 

入団してからはプロとのレベルの違いに苦しめられ失格の烙印を押されたが、当時阪急の監督の西本幸雄の

和製大砲を作りたいという方針のもと抜擢。トレーニングなどで課題であった体の固さ、苦手な内角打ちを克服。

1年目の開幕戦にはスタメン出場しあまり調子が上がらなかったが、同年の後半戦にはスタメンに定着し68試合出場で

.263 7HRというまずまずの成績を残す。

 

2年目は開幕で4番を務める。もうこの時点で成績はずば抜けたものになっていき、尾崎行雄(東映)杉浦忠(南海)から二試合で4打席連続HRを記録するなど一流投手たちも攻略。

結果.281 27HR 78RBI 12STと大活躍。阪急の優勝に貢献する。この年から9年連続で25HRを放つなど主軸として安定した成績を残すようになり、打率3割以上を4回、40本塁打以上を4回(うち1971年から3年連続で40本塁打を達成。また、打率3割40本塁打を3回達成)記録した。この間にMVPを2度も受賞している。

 

しかし75年から成績が降下し始める。

この頃導入された指名打者制度により指名打者としてレギュラーを張り続けるが1976年からは全盛期のような成績を残すことなく1979年に引退。

指名打者について「気持ちとして半分しか野球をやっていない感じ。手を抜いていたわけじゃないけど、やっぱり打って守ってが野球」とあまり賛同的ではなくそういう風にしか試合に出れなくなったのでモチベーションが下がってしまったのだろうか。急な衰えによって引退することになってしまった。

 

引退後は様々な球団で打撃コーチを歴任。

数多くの名選手を育てあげた。主に上げられるのが

秋山幸二・金森栄治(西武)

佐々木誠(南海)

鈴木尚典・石井琢朗・波留敏夫(横浜)

小坂誠・福浦和也(ロッテ)

有能すぎて怖いレベルである。

 

現在はもう歳も歳なので隠棲でもしているのだろうか指導者としても解説としても目立った仕事はしていないらしい。

もしイベントとかで阪急の思い出なりなんなりをお話ししてほしいものである。

 

それでは今回は以上で