Sランク
外野手 国内新人選手Sランク外野手リスト
出身地 中国・四国
成長タイプ 普通 
衰えタイプ 遅め 

初期値評価

全ての能力がほぼ完成されている超即戦力ルーキー。

打撃から走力、守備に至るまで隙のない能力になっている。

それでも捕球力、チャンス、肩、盗塁のような技術的な面はまだまだ成長の余地があるので試合で育てるという運用が最も似合う選手である。チャンスに強くないので1,2番に据えるのが良いか

 

全盛期評価

打撃と走塁に関しては全く文句なしの選手に育った。

4番を貼れる長打力と巧打力

1番を張れるほどの走塁能力を持った最高の選手になった。

守備に関して若干肩に不安があるが

守備範囲、捕球力、守備力、守備適正は文句なし。

レフトを守らせるのが一番良さそう。

 

成長遍歴【初期値=スタメン定着→全盛期→衰えピーク】

ゲーム中の成績【キャリアハイと通算成績】

↑一年目

↓キャリアハイ

一年目からトリプルスリー+100RBIをたたき出し毎年の様に記録。キャリアハイでは40後半のHRを放ちチームの主軸であった。超攻撃的な選手としてはかなり理想的な成績を残せる。

全ての指標で満遍なく高い成績を残せる。入団時の年齢が高いが即戦力で衰えが遅いのでシーズン成績もすごいが通算成績でも立派な成績を残せる。

 

私的評価【野手】

打撃 A 打率HR打点安打全てがリーグトップレベル
守備 A 肩がBだが守備範囲と安定感がかなり高い
走塁 S 全選手でもTOPレベルで高い。攻守に好影響。
コスパ D 何でもできる選手は高額の法則
即戦力 SS 一年目からレギュラー間違いなし。長池以上。
活躍期間 B 即戦力で衰えも遅いがやはり24歳が少し…


総合評価 A++
25歳デビューながら超即戦力の能力を持つがゆえに活動期間が長い選手。走攻守全てがハイスペックでありリーグトップの能力と成績を示すことができるオールラウンダー。タイトル獲得も視野に入るほどの傑出度を誇るので取らない理由が見当たらないくらいの選手に成長する。あと2年若ければ600HRも目指せるのではないかというのが若干惜しいか。

打撃能力に優れ走力も高いので両打にすべき打者のお手本。4割、HR記録更新、50-50も狙えるのでぜひ使おう。


やきゅつく2003選手リスト一覧

この選手について

 

簑田浩二 日本プロ野球記録様

NPB史上屈指のオールラウンダーであり

阪急黄金期の外野手。

 

1952年生まれ。

高校時代は甲子園に行くことはない無名の選手であった。

高校卒業後は三菱重工三原に入社。

1972年に南海ホークスから4位指名を受けるが入団拒否。当時はまだプロ野球に興味がなかったらしい。

しかし1975年に今度は阪急ブレーブスから2位指名を受ける。

当時簑田は阪急の事は社会人野球でかつて名をはせた

山口高志が所属しているということは知っていたくらいの認識で、かつ自身が広島出身のカープファンだったがそのカープを日本シリーズで破ったのが阪急であったこともあり複雑な気分だったという。また22歳で社内結婚もしておりこの頃にはおなかに子供がいたらしいが入団を決意。

 

当時の阪急は黄金期ということもあり

内野には加藤英司、マルカーノ、大橋穰、森本潔

外野には福本豊、大熊忠義、ウィリアムスとかなりレギュラー層がぶ厚かった。

しかし2年目の日本シリーズで好走塁を見せてその試合で逆転勝利につなぐ同点ホームインをした。その際監督の上田利治に「スタートが遅い、二死なんだから思い切りスタートを切れ」と指摘を受けたことにより野球に関する意識が変化。

 

3年目の1978年に大熊が故障離脱した代わりに

レフトに定着。.300 17HR 65RBI 61STの大活躍を見せた。

この年から8年連続でダイヤモンドグラブ賞(今のGG賞)を受賞。

1980年には30HR39盗塁31犠打の30-30-30を日本ではじめて記録。今でも唯一の記録である。ライトにコンバートした。

1982年には3番起用になり1983年には中西太以来30年ぶり史上4人目のトリプルスリーを達成(.312 32HR 35ST)。

守備でも両リーグトップの17補殺を記録した。

 

しかし1985年から雲行きが変わっていく。

4月に頭部死球を喰らい長期離脱してから成績が低下及びケガにも泣かされることになる。1988年金銭トレードで巨人に移籍。要所要所で若手の見本になるようなプレーを見せたが

1990年のシーズン途中で現役を引退。

 

引退後は古巣の系譜を継ぐオリックスにはいかずに巨人でコーチやったりしたが1995年を最後に指導者をしていない。

現在は評論家をやる一方プロゴルファーとしてレッスンを行っているらしい。

 

可哀想な逸話として

現役時代のあだ名はマンゲリホープ。

1978年に二番打者として定着した簑田は制約やプレッシャーの多いその役割にストレスを感じ試合前によくトイレに駆け込んでいた。シーズンオフのゴルフコンペで選手たちの名前を競馬風に見立てるという遊びがあったらしくそのなかで

慢性下痢の期待の若手という意味でマンゲリホープというのが定着してしまった。

もちろん簑田は大激怒しこんな一件で球団との仲が悪くなる。このあだ名をつけたのが球団職員だったからである。

阪急の有名な逸話として福本と馬を走らせてどちらが早いかを競わせたというのがあるが、実はそれに出場予定であった簑田が参加しなかったのはその「出馬表」にこのあだ名が書かれていたことに腹を立てたために出馬を取り消したという。

うーんこの

 

キャリアハイ

1983年

.312 32HR 92RBI 35ST 139H OPS.995

 

最近セカンドキャリアで大失敗をやらかすプロ野球選手が目立つ中、現役時代に優秀な成績を残した選手が

違う競技で身を立てているという珍しい例なのでこれからも元気で過ごされてほしいものである。

でももう一回指導者として頑張ってほしい感もありますが…

というわけで

 

今回はここまでご覧いただきありがとうございました。