捕手 Sランク
国内新人選手Sランク 捕手
出身地 東海・甲信越
成長タイプ 普通
衰えタイプ 遅め
初期値論評
攻撃能力は軒並み低い。走力に関しても同様である。
ただし守備に関してはCリードが初期でBという光ったものがある。しかし初期値に関していうべき点はこのくらいでこの時点ではかなり鍛えないと厳しい感じの選手に感じる。
起用しての感想
一年目のキャンプ。若干巧打と長打に成長が見られたがその程度。まだまだ一軍では使えない感じ。しかもこの時の捕手は絶頂期の野村克也だったのでなおさら。
一年目から大活躍している江川と若干差が開いてしまったようにも見えるのだろうか
一年目はとりあえず留学。あらゆる能力がCにまで伸びたり
CリードがAに到達するなどかなりの成長を見せてくれた。
3年目に飛びます。この時点で試合出場がないにもかかわらずCリードがSに到達。もう試合に使ってもそんなに問題はないが正捕手が強すぎるためにまだ控え。
結局野村が引退した26年目の翌年、27年目にレギュラー
現実では打撃は大したことのない選手だったが3割を残す活躍。さすがに野村よりは活躍できないが守備専の捕手でこの成績なら文句はない。
一応若手時代の成長歴。
成長ピーク時の能力。
若干の不安要素になっていた肩がようやくBになった。
打撃に関してもB間近のCなので意外と打撃成績がいい。右投手にも強い巧打力もその一因だろう。チャンスにも強く見かけ以上に強い。
こんな感じ。
この画像の年から衰えが始まる。
ただCリードが衰えるみたいなことはないのでそういう面では困らないのだがただでさえ弱い肩が問題になっていく。
このゲームの捕手はCリードがA行かないと人権がないとまで言われるのだが肩も同じくらい大事で、Cリードと同じく防御率に大きくかかわってくる。そういう点でレギュラーが厳しくなっていくのだが森以上にCリードが高い控えなんぞなかなかいないので結局レギュラーに居続ける。
結局のところ衰えの限界38歳をこえると長所のリードも衰えてさすがにレギュラーを明け渡すようになった。
そして39歳にして自身から引退を志願し現役を退いた。
通算では2000本と200HRを達成するなど、守備で名をはせた選手なのに意外と好成績で通算打率も.285という素晴らしいものを残した。規模は違うがまるでオジースミスみたいである。
野村から受け継がれた正捕手を見事にこなし、時代の城島健司につないだ森祇晶は本当に優秀な二代目としての役割を全うしたのでした。
実際の活躍
森祇晶(森昌彦) 日本プロ野球記録 様より
巨人の黄金期V9時代を支えたまさしく球界の頭脳。
1937年に大阪府に生まれる。この時代に生まれた選手よろしく戦争のあおりを受けたのだが森の場合は岐阜にそのあと疎開。また実家の商売は貿易だったのだがこの戦争以降厳しくなり森が大学進学する頃には本格的に厳しいものになっていった。高校時代は全国大会に出るほどの高校にいたが、実家の家計を助けるために大学進学を断念。巨人にテスト入団する。ちなみにこの当時の森青年は東京大学に進学を考えるほど頭が切れた秀才であったという。
でも家計助けるために当時のプロ野球行くか…?
ともかく入団した森は当時巨人のエースであった別所毅彦のボールを受け続ける壁として練習をしていた。野村であればこの頃の苦労話が出てきたりするのだが、入団4年目には当時正捕手だった藤尾茂が外野にコンバートするにあたりその代わりに森が正捕手になる。藤尾茂は強打の捕手であったが守備面では森のほうが高く評価されたので藤尾の打撃を生かすためにもコンバートされたのである。この年から引退まで森は正捕手として活躍し続ける。
レギュラーに抜擢された当時の監督は水原茂だったのだがその後に監督になった川上哲治は表に出さないものの森に全幅の信頼を寄せていたが、森がそれにあまえない様に毎年の様に有力な新人捕手を獲得し続けた。
結果森を超えるような捕手が出てくることはなく8年連続ベストナインに輝くなどの大活躍を見せたが森自身は「俺に信頼はないのか」と悩み続けたという。
森が絶対的な捕手でい続けた大きな要因はリード力と言われている。野村克也が捕手として活躍ができたのも相手の苦手コースや球種を研究しそれを突いた頭を使った野球をしたことが大きな要因であり其れが現代の野球を作ったといわれるが、森もそれを行っておりなんと試合ごとの両チームの配球を正確に暗記できるほどの記憶力も持っていた。そして日本シリーズの際は野村克也の自宅に行き情報収集をしていた。
また捕球技術も卓越したものを持っており、現役通算のパスボール数は42個。サイン盗みに対抗しサインとは違うボールを投手が投げても平気で捕球するというエピソードもある。これには入団して間もないころに別所のボールを受け続けたこともつながっている。
ゲームでの肩は大したことがないが、盗塁阻止能力も素晴らしいものであった。当時巨人に所属していたクイックの名手と呼ばれる投手堀本律夫とバッテリーを組んだ試合では盗塁阻止率.706という記録を残しており、阪急との日本シリーズでも福本豊の足を封じ込めたこともあった。
何よりの魅力はリードとしておきながらその他捕手の守備領域に関するものはどのチームの捕手よりも工夫していたので結果的に捕球技術、リード、肩(盗塁阻止)、とあらゆる分野で当時の捕手ではずば抜けていた。
打者としては強打者でも俊足でもなかったが要所で勝負強い打撃を見せ、当時の時代背景から右投手が多く左打者が少なかったので5番に立つこともあった。
1974年にV10を逃したことによって現役を引退。なおこの年は長嶋茂雄も引退したので長嶋とは対照的にセレモニーなどもなく静かに引退。川上哲治は長嶋に監督になるなら森をコーチにしろといったがそれを断った。当時から仲は悪かったらしい。
そこから解説者やコーチを経験したが、おそらく森の名声をさらに高めたのは西武監督時代だと思われる。
ヤクルトコーチ時代から付き従っていた広岡達朗監督から西武監督の座を預かった森はこの時に本名の森昌彦から
森祇晶と称するようになる。
森が引き継いだ西武は前年も第一次西武黄金期と呼ばれるほど完成度の高いチームでありそれを引き継ぐ森は基本的な方針は広岡から受け継いだであろう基本と基礎を積み重ねた緻密な野球を展開する。守備を重視し走塁やバントなどの小技を織り交ぜて9年間で8度のリーグ優勝を達成。そしてパリーグ記録の5年連続リーグ優勝を樹立した森政権の西武は第二次黄金期と呼ばれた。ここら辺はエピソードも多いので各自で調べたほうがおもしろいかもしれない。
西武の監督を退任した後は横浜ベイスターズの監督を務めた。当時の横浜はマシンガン打線を標榜しセリーグでも強豪の仲間入りをギリギリ果たしたぐらいのチームであったが、
石井琢朗曰く「森監督の緻密な野球とマシンガン打線のような自主性のある野球が合体することを期待した」みたいなことをコメントしているが、残念ながら横浜時代の森監督の采配は精彩に欠けたものと呼ばざるを得ないものであり、就任一年目の2001年は3位だったものの2002年はぶっちぎりのビリであり契約を残したまま退団した。
2003年からはアメリカの永住権を取得したためにハワイに移住している。2005年に野球殿堂入りを果たした。
ブログ主は結構好きな野球人なのだが、結構賛否両論に評価されている方である。
選手時代も投手が打たれた際はすべて自分のせいにするわけではなく、投手の調子が悪かったらはっきりと言うところがあったせいで一部投手の評判が悪かったりした。
指導者になってからは多くなってしまうのだが
コーチ時代は広岡の指示で選手の私生活などにも細かく口出ししたせいで選手からも嫌われ一時コーチを追われたり、監督時代は勝利のみを追い求める試合展開から観客動員数でフロントからぐちぐち言われたりしたことで西武の監督を辞めることにつながった。
横浜監督時代は西武時代の戦い方に固執した結果、権藤監督時代に培われた自主性をつぶしてしまい結果横浜暗黒期のレール敷いてしまったとか思われたりしている。
特に選手の扱い方に関しては西武と横浜の両球団で失敗に思われる結果を残してしまっている。
西武時代は清〇和博を厚遇しすぎた件で説明不要だと思われるが、横浜時代では谷繫元信に移籍のきっかけを与えてしまい、横浜弱体の原因はと当時の主力に聞くとほぼ全員が
「谷繫の放出」を上げるのだがそれには森監督と谷繫の確執が原因と言われる。全てが全て森のせいではないがなにかしらの悪い結果を残してしまっているので毀誉褒貶の激しい人物になっている。
現在も存命中でハワイに移住しているがそういう自分と周りの立場の違いから考えが違っていき、自分と他人との評価やモノの見方が違っていきそういったあらゆるものの違ったところが結局森にとっては良いように働かず
(勝っているのに客が入らないから監督を追われた西武)
(前監督との方針の違いから悪い結果を生んだ横浜)
そういう部分に疲れたから日本から離れたところで生活するようになったのかと思うと少し悲しいような気がする。
選手としても監督しても素晴らしい結果を残した人物であり、捕手の地位向上に野村克也と共に大きく貢献した人物でもある森祇晶をマスコミや野球メディアがそこまで取り上げないところにもどかしさを感じるブログ主でした。
私的評価
安定 B 強みのCリードが3年目から引退まで一線級に
打撃 C これに関してはC~Bランク相当
守備 B 肩さえよければ文句なしだったのだが…
走塁 D 走力は普通なのだが盗塁を全くしない
貢献度 B CリードがSというだけでかなり貢献度は高い
コスパ B 守備専なのでどれだけ高くても2億しか行かない
総合評価 C+
Cリードが全捕手でもトップクラスになる守備専門の捕手。
打撃もチャンスがAになるので打点は大きく稼ぐことができるので足を引っ張るほどではないのでレギュラーでも問題なし。
しかしながら守備専にするには肩がAに行かないという捕手としては致命的な弱点があり、それをカバーできるだけの能力がゲーム上では再現できない。機動力で貢献できればまだいいのだがそういうこともないので普通の選手という評価に。
ただ長所としては実践投入するまでに最低限必要なCリードが3年目にはSに行くというのは他の選手にはない捕手としての完成の速さが挙げられる。これに関しては野村克也以上のものなのでそれをプラス評価した。即戦力捕手としてはかなり価値のある選手である。