投手 
Aランク  国内投手Aランクリスト
出身地 九州・沖縄
成長タイプ 超早熟
衰えタイプ 急降下

初期値論評

は?

 

ゲーム中での活躍


初期から完成されすぎている能力を持っているがゆえに

一年目から看板エースとして活躍していた。

そりゃそうだろうと、決定事項と言わんばかりに新人王。

右投げ投手としては異常の防御率1.94を

新人でたたき出す大暴れっぷり。

やりすぎですよ

 

2年目も絶好調で超早熟のためこの年が成長のピーク

チーム自体が低迷期であったために7勝しかしてないものの

防御率は2点台の活躍

(*^▽^*)うちのチームにもこんなエースがいるんだ!

 


この記事をご覧になっている9割の方はゲーム的に

そうでなくともこの方の現実での活躍を知る方であれば

ご存じでしょうが

この年にはもう衰えが始まってしまいます。

しかしこの年はまだまだ大活躍。

防御率、勝利数ともにエースと呼ぶに差し支えない成績。

この投手くーださい

(*^▽^*)<あーげない!

しかし4年目からはもう並の投手になってしまい

二軍でシーズンを過ごす羽目になる。

新人から球界でずば抜けた成績を残していた姿からは

とても想像できない転落っぷりである。

(´゚д゚`)<なんたることだ…なんたることだ…!

 

そして五年目には一軍に昇格することなく

現役を引退。その優れた初期値から考えると

あまりにも短い投手人生に幕を下ろした。

エースとして活躍したのは5年間という選手生命のうちの3年。

実働3年で32勝12+a敗。通算防御率は2.40

このゲームで権藤博以上に太く短く生きることなど

恐らく無理であろう。そう感じました。

 

現実での活躍

権藤博 日本プロ野球記録様のサイト

高校から社会人野球チームブリヂストンで活躍した後

中日に入団。

1年目のオープン戦からバカみたいな成績で

当時の監督であり自身を入団させるきっかけをくれた濃人監督からエースとして扱われる。

(28.1回で自責点1、防御率0.31)

 

1年目から全130試合中69試合に出場。

誤解された方いたらすいません。控え野手ではございません。

先発エースピッチャーです。

44試合に先発し35勝19敗、429.1回、310奪三振、防御率1.70文句なしで新人王、沢村賞も受賞した。

頭おかしい…


2年目も61試合で39試合で先発。30勝17敗

362.1回、212奪三振、防御率2.33で最多勝を獲得した。

もう皆さんお分かりですよね。

投げすぎです。

 

翌年以降は2年目までの活躍ができずに5年目からはフルシーズンでの一軍の投手登板すらなくなってしまう。

投手を辞めざるを得なかったので首脳陣から遊撃手に。

投手として出場した試合と同じ程度の出場数はあったものの

打撃面の成績からは正直一軍と堂々と言えるものではなかった。

1968年、入団8年目に一時的に投手に復帰できたものの

かつての活躍の片鱗すら見せることはなかったのだろう。

この年限りでの現役引退となってしまった。

 

通算82勝60敗防御率2.69

 

権藤権藤雨権藤じゃなくて

化け物化け物&化け物ですね。

 

投手としてもNPB史上でも屈指の知名度と実績を誇るが

何より権藤博が有名なのは指導者としての名声である。

指導者としては1973年に活動を開始。

1981年から古巣のドラゴンズの一軍投手を務め

在任中に1974年と1982年のリーグ優勝に貢献。

1988年から近鉄バファローズの一軍投手コーチに。

就任1年目からいきなり前年最下位だったチーム防御率を

リーグ2位に引き上げると大活躍。(4.22→3.23)

チーム自体も2位に食い込む。

翌年もチーム防御率が2位で優勝に大きく貢献(3.859)

しかし当時の近鉄監督仰木彬とめちゃんこ仲が悪かったらしく

コーチを退く。こういうのがあるから日本一になれないんだよ

1991年から1993年まではダイエーの一軍投手コーチに。

しかしここでは防御率の改善は達成できたものの

防御率自体はリーグ最下位であった。

当時のダイエーの相対的弱さを推し量れる悲しさ。

 

そして指導者として最も名を上げたといえる言えるであろう

横浜時代。

1997年かバッテリーチーフコーチになり

防御率を4.67から3.70まで向上させ(6位→4位)

チームを2位にまで引き上げるのに貢献。

1998年には監督に就任し1960年から38年越しの

日本一を達成。2000年まで監督を務めいずれもAクラスに。

横浜退団後は中日や日本代表のコーチも務めた。

 

横浜時代ですら私はよく知らないのですが

彼の采配は当時としては革新的であり

先発ローテーションも根付いた1990年代、横浜監督時代には

中継ぎローテーションを導入したり、MLB式の選手自身に考えさせる指導法(本人曰く「奔放主義」)を実践し日本一。

中継ぎが強いチームが好成績を残す現代の野球につながる

指導法、考えを持っていたと考えると相当の傑物だと思います。

かの有名な江夏豊も

「名監督は多くいても名コーチは少ない。」として

野手の名コーチを中西太、投手の名コーチは権藤博の挙げるほどプロからも認められる名指導者でもあった。

 

しかしながらコーチ時代は監督との確執が多く取り上げられ

そのたびに権藤からやめていった。選手時代もチーム内で

頼られ、頼られすぎて肘肩ぶっ壊してしまった過去があるからなのか、何よりも選手の健康のことを考えていった結果

何よりも勝利至上主義である昭和の考え方を持った監督と

何よりも選手至上主義である新しい考え方を持った権藤は

衝突したのではないか。

だからこそ思い通りにチームを動かせる監督になった時に

自分の思想を実現させながらも日本一に輝くことができた。

皮肉というかこういう言い方もあれですが

選手時代に酷使されたからこそ指導者としての実績もあったのではないかと考えると、人生万事塞翁が馬とはよく言ったものだと考えるブログ主でした。

監督時代にも「自分は投手コーチみたいなもの」みたいな発言をしていたらしいですが、日本史上五指に入るほどの

名投手コーチと言えるのではないのでしょうか

 

私的評価

安定感 A 右投手として異次元の安定感。大体勝つ
貢献度 A 1年目から生え抜きを殺しかねない成績

コスパ B 衰えが早すぎるために高騰する前に引退する

選手寿命 E さすがに2~3年で消えるのは…
総合評価 B 即戦力投手としてはつくろうと江川並の強さ

 

他球団に取られるとまず使えないが

新人で見かけたら取りに行くべし。

しかしあまりに実働年数が低いため

長期的な地盤を作りたいときは無理しなくてもよい。

 

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