忘れないために、思いつくままに、ここに記録したいと思う。
岩手県陸前高田市へボランティアへ行ってきた。
ボランティアに参加しようと思ったきっかけってきっとたくさんあって、その中でも、3月11日からメディアを通して目にする悲惨な現状を自分の目で確かめたいってことが一番だと思う。
津波によって飲み込まれた家屋、車、人。重油によって真っ赤に燃えつくされる街並み。全国、全世界からの支援活動。何を見ても何を聞かされても、初めのうちは日本で起こったこととは思えなくて、長い長い夢から覚めずにいるような感覚で、なにもできなくて、でも何もしようとしてなくて。
何かしたい、何かしなくちゃいけないって思う反面、自分なんかよりもっと優れた人々が大勢いて、そんな人たちの中で自分の能力ってミジンコ以下で、力になんてなれないだろうってどこかで冷めてた。ただただ、そんなことを思ってしまうこと自体が不純に思えて仕方なくて、考えるより先に行動している人たちを羨望、期待、そして少なからず軽蔑の目で見ていたことは間違いない。こんなにもひねくれ曲がった自分の性格ってどこでこうなったんだろうって、いつも不思議に思ってしまうのだけれど。あまりにもボランティアを悪用する人々が多くて、そんな現実を知ると疑心暗鬼に陥ってしまった。考える母体数が大きくなるからここでは大学生に絞って考えようと思うけれど、募金活動にしろ、被災地に行って活動するにしろ、きっと初めは良心で始めたことっだっただろうに、いつの間にか利用して罪を犯している人が大勢いて、憤りを感じた。だからこそ大学生たちのボランティア活動に参加したいと思ったのもきっかけのうちの一つだと思う。
今回は石川県の大学生、おもに私の大学の生徒ばかりだけれど、21人で行った。知り合いは一人もいなかった分、新しい出会いが一気に20人もできて、すごくいい体験になったと思う。一人ひとりの様々な思いや、決意、体験、初めて会ったとは思えないくらい深い話しがたくさんできた。むしろ初めて会ったからこそなのかもしれないけれど、この出会いをこれきりで終わらせるのは至極勿体無いことだと思った。これからの活動も参加したい。ボランティアを出会いの場ととらえることに初めはすごく抵抗があって、でも実際に被災された方々とお話ししたりすることで得られるものって大きかったから、もっと肯定的に考えてもいいのかなって思った。出会いは一瞬だけれど出会ったらそれは一生もの。だから、このボランティアに参加させていただけたことは純粋に感謝の気持ちでいっぱいだ。
現地に行ってまず思った第一印象は「なにもない」ということ。状況的には、半年以上たって瓦礫の山はまだまだたくさんあるけれど、その瓦礫の山も分別されている状況まできている。中学校や市街地、港町中心に活動したたけれど、そこには確かに人々が生活を営んでいたはずなのに、そんな影が一切見えない。そんな状況。そこで亡くなった多くの人や、取り残された人々の気持ちを考えるなんて大それたことする必要がない。けれども、作業中に掘り起こされたお椀やコップ、金婚祝いの皿や杯を目にするたびに心が痛んで自分の存在の小ささにやるせない気持ちでいっぱいになる。津波が到達した時刻で止まっている時計、3月の予定表が書きこまれたままの黒板、卒業証書の筒、土に埋もれた瓦礫やガラスの破片、貝殻。人の手で一つずつ拾うしかなくて、一日みんなで活動してもこれだけって思った。人間は一度に何万人をも破壊できる核爆弾を作ることはできるのに、瓦礫一つ拾う装置すら開発できないなんて、やっぱり無力だって感じた。それでも、活動前と活動後の状況は少しだけれど変化があって、こうして人の手によって変えられるものなんだ、とも感じた。人間が自然を超えることのない確かなことと、その事実に少なからずほっとした。もしもこの先人間が自然を超えることがあるのなら、そのとき世界は終わるだろう。
被災地の方々の話を聞く機会にも恵まれ、近しい人が亡くなったことを見ず知らずの我々にその時の状況を踏まえて話してくださった。そんな人たちの役に立てたかはわたしが決めることではない。でも、話してくださったからには伝えなくちゃいけないし、この大惨事を何年後も何十年後も伝えていかなくてはならない。自分にできること。何を言われようと何を思われようとやらないよりかはやったほうがまし。いつも思うことが再び思い起こされた。
まだまだ感じたことが多くて、風化させたくないから書いてきたけど、やっぱり日本語能力のなさすぎる。というか、全然整理がついてない。ふう。まったく自分のこの処理能力の遅さにも腹が立つ。来月のディベートまでにはもう少しまとめておこうと思う。