夢をみた。
それは4日くらい前、多分。

夢なので話はびょんびょんとしているが、読み易いよう補完して書く。

夢の中でぼくは事務所にいた(!)
僕はスーパーに行こうと思ったらしく外に出て自転車にまたがる。ペダルをこいで行くと
なぜか伊勢にいた。伊勢市駅からしんみちを通って実家付近についたっぽい。
僕は小学校からの友人、ここでは仮にデデデデ君としよう。
デデデデ君の家に遊びにいこうと思った。
彼の家は僕の家から自転車で1分の場所にある。昔よく遊んだキヨノイ公園。
家につく。玄関の柵をあけ(手を裏から回してガギョってやる)ドアをあける。
てろれろれれ~ん、れれれれれーんという聞き慣れたあのドアを空けた時にする音がなる。
「でっでっでくーん、あーそーぼー」と呼ぶ。
おばちゃんが出てきた。
「あら、かんちゃん。ユウはもう結婚したからもう家にはおらんよ」と言う。
「え、」僕はびっくりする。そして気づく。
「あ、そう言えばユウくんはもう結婚して今は大湊(やっけ?)の方に住んどるんやった。
やでもうこの家にはおらんのや。。。」
瞬く間に闖入する現実の記憶。
サササーっと流れ引いていく僕の中の何か。
ショック、その正体は彼が結婚した云々ではない。めでたいし、僕はそれについてどうこう
思っていたわけでもなかった。
ただ夢の中で自分がもう
"あの時の小学生ではない”
と気づかされた事に対する驚きだったんだと思う。
夢では彼のおばちゃんも僕も"あの時の小学生”のままなのにも関わらず。



こうして仕事を自分から始めて(言い方おかしい?午前5時)もう1年と2ヶ月がたった。
去年の今頃と言えば、24年の短い我が人生の中でどん底中のどん底にいた時期である。
ちなみに今もそのどん底から片足くらいあげてちょっとだけヘドロから浮かせた左足を見て
「ほらちょっとましだろ」なんて言っているくらいです。

それはぽーわーんとおいておいて、制作についてです。本日は!ぼくがいいたいのは!
仕事は僕に仕事を頼んでくれる方々がいて、本当に良くして下さる。
だから僕はそんな彼らになんとか「いいじゃねーか弓指、21世紀ビデオズ」と言ってもらいたくて
(これは誉められたい訳ではない、認められたいのだ)頑張る。

それと同時に進行させなくては行けない制作。
僕にとっては制作こそ最優先したい事柄である。いやほんとに。
世の中のアーティスト様、芸術家様は(僕の勝手な印象です気にしないで)
その知力あふるる脳みそを持って、ある程度いい職についてある程度の仕事をこなし
残りの【都合のいい時間】を制作活動にあてている、んじゃないかと僕は勝手に思う。
くそー!なんだよ!くそー!くうううやあああしいいいいいいいいいい!
おおおおおおおれえええええええもおおおおおおおおおおおお
さああああああああああああくううううううひいいいいいいいんんんんおおおおおおおおお
のおおおおおおおおおおこおおおおおおおとおおおおおおおっばああああああああっっかああ
考えた、作って生きたい愛してる。

今後はまず、ちゃんと人並みの生活をし、仕事をしっかりやって
制作時間を確保し、その上で上手い事生きている奴ら全てに僕のゲロを
もうぜんっしんに浴びせまくってイヤな思いをさせてやるんだ!
がんばる。
笑顔で笑って
ぶぶぶって笑って
ぶぶぶぶぶ!
気分をよくして、いい天気で
そうやって
生きて!
いたい!
いたーい!
笑顔で、心軽く。
たのしくて。

なんつってよ。
呪いなんてそんな話は出来ない!
だがしかし、ぼくは(自分でいうのも何だけど午前4時)
結構多くの人から嫌われていると自負している。多分そう。
なぜかは大体分かる。
うざいのだろう。
でもさ、人の事嫌うっていうのは本当に覚悟と労力がいることだと僕は思う。
嫌うとはすなわち無条件でその対象に嫌われるということだ。
それも分からずに感情論だけ口にやつは堂々と失せろって思う。

もっと(社会的に)大人になろうとか子供だとかそういう事を置いておいて
色々な経験をして論理的に物事を把握出来る様になった上で
人間と闘っていきたいって思った。

ぼくはだから、今まで誰の一人も嫌っちゃいない。
皆は僕の事を疎ましく嫌えばいい。
帰宅フフフフフフルムーン!
5月に入ってから一気に変な生活具合が加速して、あげく今ぼくの目が変なことになってしまった。
二重か三重くらいになってしまって、ここ2日余計に睡眠をとっているのになおらない。
目ぇつぶれちゃった。

例えば、今って、その今に満足している人なんてほとんどいないんだろうけど
そういったヌプヌプと沈みがちな今を生きている(生かされている)時ふとぼくは思う。
いくら沈殿した今を脈打たせて生きていようと、過ぎ去った昔のこと猛烈にふとした瞬間のこと
あの時を思い出せれば、あの時があったならもういいだろう
オールオーケーって思える時があるって。

それは本当に劇的な事なんかじゃない。はっきりいってどうでもいい出来事。
それはほんのひととき。
僕たちは全てを忘れてゆく。
そこからこぼれ落ちてしまったAからBへと移動する物語の間。
それがあればぼくは、ほくそ笑むことが出来る。
かなしい、そういう日もある。
4月に入って休みを増やした。すると絵を描く時間がわずかに増えた。嬉しい。
睡眠欲ってのが今の僕にとって最大の敵だ。

快楽=欲求だと思う。
なぜそれには堕落が伴うんだろうか。食欲も性欲も睡眠欲も全てすぐに堕落へと誘われる。
しかも!めっちゃくちゃに陥り易いシステムになってる。

性欲溢れて、狼男になってしまいたい。
文章の書き出し方について考える。
いつも毎日ぼくは何をしているのか考える。
やばいやばい原発のことを考える。
絵のことを少し考える。
カメラの事を考える。
選挙のことを考える。
変わってしまった世界について考える。
そうやって考えたふりをしてこうやって文章を書いたりしてみる。
地震以降もう尋常じゃないくらい溢れ出てくる情報とそれを選別する情報と
あんま関係ない日々の暮らし(働かざるもの食うべからずの日常)との間で
プワヨヨヨヨヨヨンと漂う感覚があったりなかったりするいま。
いろんな事を肯定するでもなく否定するでもなく、選別して「自分はこう思う」
という意見だけを少し持ったりする。

そして今日と明日は伊勢にいるので、色々フラフラと出歩こうかと思う。
昼まで眠って。
最近は人間の適応能力ってものについて思いを馳せている。
今回の地震についてってことだけではなくて
僕たちはめちゃくちゃ適応能力が秀でている。
いつだってどんな時だってその状況、状態に
対応してゆく体を持っている。
精神がついていけない人もいるだろうけど。
辛い過酷な状況だけではなくて、
居心地のよい場所や時間にはなおさら順応が速い。
例えるならば真冬の夜中、事務所からクソ寒い中
チャリを45分もこいで帰ってきた屈強な僕が
「風呂に入って洗濯物を干して寝よう」
と思っていたのに、部屋に入って
「ちょっとだけ」と思ってベッドに座り込んだらもう最後
5分と掛からず眠りの中に埋没してゆく。
あんなに屈強だったのに!風呂にも入れず!洗濯物はたまる一方!
精神は晴れ晴れと力強く夜を越えていこうとしていた!
なのに!ベッド!

そういう順応性の高さの話。
座っちゃいけないんだよ。
そのぬるうい湯から抜け出すには死ぬ程冷やすか、
ずっと入らないでいるかどっちかしかないんだよなぁ。

それしかないんだよ、皆。

名古屋は揺れない。

地震が発生した時、僕は事務所にいて、いつもとは違う揺れを体感した。震度4とかそんなもん。

そこからはニュースで、ツイッターで怒涛のごとく過ぎていく出来事を見続けている。

東北はとにかくめちゃくちゃになっていて、東京でも被害がすごくて。

ヤシマ作戦が決行され、皆が節電に勤め世界からエールが送られ募金が集まる。

さすがの僕も何かしなければならないと思う。

未曾有の事態が起きた。

でもこんなときだというのに僕は心のそこで「あれ、蚊帳の外」だと感じている。

不謹慎だと分かっているでもそう感じる心に(劣等感ゆえに)この事態に参加している気持ちを持とうとしている。

何だろうかこれは。

僕は絵描きだと自負している。ツイッターでは多くの人がpray for japan! とメッセージ入りの絵を送っている。

僕もやろうかと思った。でも出来ない。出来ない心がある。

"うそ臭くてもいいし何でもいいからやれることを!やらなきゃいけない!”

という気持ちをも上回り絵は描けない。

だから募金をする。でも金は無いから100円とかその程度をコンビニに行く時にする。

そんだけ。「それでもいい」って言ってもらえるのも分かるけど何だかなぁという気持ちだけが残る。

【被害者】【非被害者】という見方をすべきでもないなって思う。


でもここまで【リアル】な出来事が起こっているのに体感さえしているのに、僕が感じているのは

この震災に対する【リアリティ】なのだ。だから煮え切らない。

巻き込まれたくはないし、自分が被災者にならなくてよかったって思う。

何なんだろう。

自分の現状【愛知で自分の仕事をしなきゃいけない】と日本の動き【地震にたいする】が乖離しすぎて

傍観者になってしまうのかな。

1日中ツイッターに噛り付いてるわけにもいかない。

政府の動きを叩く気もないし、被災地では多くの人が頑張り、死んだり助かったりしている。


とにかく、まとまってないけどここ3日ずっと何なんだろうなって気分で胸が晴れない。