ウクライナは即時降伏すべし

 国際司法裁判所ICJの判決は正しい。なぜ一民間人に過ぎない私がそう判断できるのか。それは,2014年7月のマレーシア航空機MH17便撃墜を含むドンバス地方の悲劇をそれ以前からみて来たからである。どこで見たかと申し上げれば,マレーシアのクアラランプ-ルでの経験からである。事件は,同年7月ではなくて3月に始まっていた。
 クワラランプ-ルで人生の相手方と別れた後,その4日後にマレ-シア航空機MH370便が北京に向かいつつあったが,ヴェトナム沖で方向転換した後,行方不明になった事件あった。MH370便の機長の人間関係について友人たちの間で話題にされたが,彼を知る外国人を始め関係者でさえ機長の悪い噂は否定した。さらにマハティ-ル元首相の側近でさえ行方不明は某外国諜報機関の仕業(ドロ-ン機)だと疑っていたのだが,行方不明当日,タイ湾ではアメリカ海軍とタイ軍の合同軍事演習がなされていた(MH17便が撃墜された日は国会でNATOとアメリカの軍事演習があった)。つまり,MH370便が南シナ海からインド洋に抜ける際,合同演習中のレ-ダに映っていたはずだが,両海軍はそのデ-タを公表しなかった。それをマハティール元首相の側近たちは怪しんだのである。その他にもパイロットを知る関係者は小生と立ち話をするとき,私の見解を聞きたがった(初代の首相が飛行機事故で亡くなったことがあったので,その真相追及の意識は高かったのかもしれない。よく昼飯を食べた食堂街のそばにその記念碑があって毎年5月5日に献花に訪れる人も少なくなかった)。

 

罪を擦り付ける方法~構造が同じ

 しかし小生が一番驚いたのは7月17日にMH17便が撃墜された事件である。最初はロシヤ軍がブ-ク・ミサイルBMで墜としたとウクライナ軍は主張したが,ロシヤ側の検証により提出された証拠写真が合成されたもので本物でないことが判明した。またウクライナ空軍パイロット本人がMH17便を撃墜したとも証言していた。他方17日は快晴でブ-クBKなら白い煙が見えるはずだが農民たちは白煙を見ていなかったという証言もあった。もちろんこれらはSNSから手に入れた情報で信用はできなかったので,小生にはどれが本当なのか判断がつきかねていた。後に,機銃掃射を浴びたような弾痕を写真で見た。しかしブチャの虐殺と関係市長の証言を聞くとMH17便はウクライナ軍によって撃墜されたことを直感した。なぜなら偽証拠を元に相手に罪を擦り付ける方法が同じであるからである。

 もちろん統計的にみても同じ国の飛行機が連続して行方不明または撃墜される事件は1万分の1の確率(万が一)であろうから,よほど恣意的な力が働かないとそういうことは起きない。さらにまたその後,ナジブ首相がハワイに飛んでオバマ大統領と会って懇談したが,その会談は前もって予定されたものではなかった。緊急会談のためにオバマは結婚式をする予定だったカップルに後でわびを入れて祝福し直したそうだ(いわゆる損害賠償)。

 

ICJ判決は正しい

 ICJの判決は正しい。西側の裁判所がこれはほど公正・中立,しかも過たない判決を出すとは驚いた。私はマイダン革命前後の,ウクライナの成り行きを見てきた一人として,議会内に短刀や鎖や持ち込んで議員たちを脅す姿を見たことはなかった。議員の個人事務所に押し入って暴力を振るった人たちも同様であった。またさらに政府に反対する議員や記者が暗殺されるという事件が頻繁に起こっていた。もちろんネオ・ナチに完全支配される直前の議会をも”youtube”で観ることが出来た。現在そういった映像は例によって流されない。すなわち『ロシアは悪,ウクライナは善』という図式にはなれなかった。それはまた,波蘭国にミサイルが撃ち込まれたとき,善レンスキー元大統領が間髪を入れずに「ミサイルはロシヤが撃った」と主張したことにも現れているだろう。すなわちミサイルを撃ち込んだのはゼレンスキー側。
 
ウクライナ紛争の解決

 ウクライナ紛争またはウクライナ代理戦争の解決は,双方の「即時停戦」ではなくて,ウクライナ側の「敗北宣言」だろう。すでにキエフは52万人以上の人員を失っている。ロシヤ軍の死亡者は多く見積もって5万人だろう。日本の或る防衛ジャ-ナリストはロシヤ側の死亡者数は約9万人とアメリカ国防省発表の数字をそのまま引用しているが,小生はショイグ国防相の数字を信用したい、
 しかし問題は死亡者数ではなく,ロシヤ国民の,特に戦死者の遺族の心情である。プ-チン大統領によるロシヤ語話者救出の英断が遅れたために,死者数が増えたとも言われている。レ-ガン大統領元財務次官補ポ-ル・クレイグ・ロバ-ツ氏はマイダン革命のときヤヌコビッチ大統領が反逆罪でネオ・ナチなどの暴徒をもっと早くに捕らえるべきだったと主張されているが,プ-チン大統領の国境越えも遅かったと,小生も思う。
 プ-チン大統領もヤヌコビッチ大統領も平和(ミ-ル)を愛する。愛するが故に死亡者が増えたとも言えるだろう。しかし死亡兵士の遺族たちの心情を考えたとき,プ-チン大統領は博士号が大好きな人たちによる「即時停戦」をしたらどうなるであろうか。端的に言って大統領としての人気は急速に落ちるばかりでなく、大統領職を辞することになるかもしれない。ネオコンが米国務省内に蔓延る中でそれはできないだろうし,後継者メドヴェ-ジェフでは心許ないだろう。停戦が実現した後プ-チンは直ちに後継者探しをする,あるいは後継者を決定するだろう。しかし今はその時期でないと考える。

 

ウクライナの非武装非ナチ化
 
 ロシヤ軍の国境越えつまり特別軍事作戦の目的はウクライナの❶非武装化と❷非ネオ・ナチ化である。「オデッサの虐殺」を見て報復を考えない者は恐らくいないだろう。ICJの判決を読んでも報復は十分あり得るだろう。もちろん宗教家の中には暴力は暴力を呼ぶから暴力を受けても報復をしないという態度をとれと説教する人もいるだろう。そこでプ-チン大統領が曳き出した結論が❶と❷である。
 平和交渉の条件はミンスク合意ⅠとⅡに戻ることだという左系元外交官がいるが,それでは亡くなった兵士の遺族の不満は収まらないだろう。収めるためには,ウクライナの非武装化❶が必要であろう。ウクライナ全土がロシヤ領となることが前提条件である。「即時停戦」を主張してミンスク合意Ⅰ・Ⅱに拘るのはプーチン退陣を意味する。そうではなくてウクライナ全土はロシヤ軍と政府の施政下におかれ,非武装化される必要がある。したがって議会にまでナイフや鎖や鎌をもち込んだネオ・ナチ一派を排除する(❷)ことも必要である。この2つは,「報復が報復を呼ぶ」ことを意味しない。つまりブチャの虐殺に対する報復は禁止され,オデッサの労働会館での大虐殺に対する報復も許されない。ただ単に,「即時停戦」すればいいというものでもないことを意味する。
 ゼレンスキ-はウクライナ憲法を変えて「平和交渉をしてはいけない」憲法に変えてしまった。しかしゼレンスキーは任期切れで大統領ではなくなった。したがってウクライナの諸問題はロシヤ軍に施政権が移ることによって解決され,ロシア政府が❶と❷とを実行することが問題の解決となる。またおそらくそのことによってのみ遺族も手を打つだろう。

 

おわりに

 なぜもっと早くウクライナの紛争を止められなかったのか。日本と違って風俗も民族も異なる。しかもウクラナ語とロシヤ語の違いもある。大統領選をやればロシヤ語話者が多いからロシヤ語話者の多い地方が勝つ。したがって明らかなことに,連邦制が望ましい。しかるになぜキエフは連邦制を取り入れなかったのか。それはドンバス地方をはじめとするロシヤ語話者地区から得られる税収が西側のウクライナ語地方からのそれよりはるかに多かったからである。

 他方ユ-ゴスラビアのコソボのように異民族が入り乱れていても「平和」に生活していた地域もあるが,CIAとNATOによって政権転覆がなされた。CIAには政権転覆を主な仕事とするCIA①と世界の情報収集を主に担当するCIA②がある。今回のウクライナでの紛争はオレンジ革命のころから,あるいはベルリンの壁が崩れたときから予想されていた。然るにそれまで,少数の学者を除いて誰もウクライナの紛争を問題にした研究者を寡聞にして知らない。
 文芸評論家故・加藤周一はカナダの「冬」がウクライナの「冬」に似ていると主張していた。それは単なる一旅行者の感想だったのだろうか。少なくともドンバンス上空でMH17便が撃墜されたときに,多くの学者や識者が声を挙げていたらウクライナは泥沼のようには糠ることはなかっただろう,と考える。元朝日新聞のウガヒロ氏が指摘したように,ロシヤの特別軍事作戦以前,誰もウクライナ問題について多くの関心を抱いていなかった。(完)