暫くご無沙汰して済みません。民俗学的に私にとって大きな発見がありましたので,お知らせ申し上げます。それは茨城県那珂湊市にある虎塚古墳の壁画についてです。

 

 1983年出版のNHK大学講座が出てきました。その中の一冊に『日本の古墳文化』というのがありました。著者は同志社大学の故・森浩一教授です。そのTVシリーズを見て疑問を全く持たなかったと思います。そしてそれは珍しいことです。

 ところで『日本の古墳文化』の表紙の主たる部分が虎塚古墳の壁画であることを発見したのです。・・・虎塚古墳の石室には,左右の壁にも盾・サヤ(原文は漢字で革+皮)・玉をつらねた首飾りなどの図文があるけれども,入口からのぞいて真っ先に見えるのは奥壁で,その中央には左右に並んだ二個の大きな環状文,つまり円文があり,そのうえには三角の文様(△)が連続している。この壁画の意味を検討した志田諄一氏は,・・・

 とあるが,小生には考古学の基礎訓練を受けていないので良く分からない文章だが,志田氏は北条氏に触れ,北条氏の紋が三鱗であることを指摘されている。この紋は小生も知っているがこの古墳にある三角文様と北条氏とが関連しているかどうかについて考古学上の知見を小生は持っていない。知っているのは三鱗が竜と関係しているという点だけである。

 しかし志田氏は「三角形の文様が連続するのは蛇の鱗の図形化と考えて」いるのでこれは小生の見方と一致する。連続三角文様は「蛇の鱗」であり,〇円(真鍮)は「星」であると南東アジアで教わった。果物に”ブア ナーガ”というものがある。日本のお店では「ドラゴンフルーツ」として売られている。

 話が飛ぶが例えば花腰傣の場合,円形の麦わら帽子は「太陽」を表す。つまり星と太陽とその他の模様で世界観を表現するのが花腰傣の衣装である,と推測できる。

 しかしカザダンドスンと花腰傣の三角文様と〇円と連続三角文様は共通であると考えると,虎塚古墳の壁画は上部周辺が連続三角文様であり左壁に星が5つ描かれているのでカザダン・ドスンと花腰傣の流れを汲んでいることが推認できる。決して日本国内だけの問題ではない。

 私の予測はこうである:アフリカ大陸にも三角文様があり,さらに連続する△文様で飾られている仮面(Mask)があるので,出アフリカを考えれば,三角文様をもった集団がアフリカを出て世界に広まったと考えるのが順当であろう。

 ところで6月1日(土)に公民館で開催する,小生の公開講座では三角文様や❍円などはアフリカを出て東へ向かった集団の中にはボルネオ島へ行った集団,雲南地方を通って日本へ向かった集団,中央アジアを突き抜けてシベリアへ向かった集団がこの文様を運んだ,と発表する予定である。

 そうしてべーリング海峡を渡って北米・中南米方面へ向かった集団がマヤ文化・インカ帝国を造ることになる。これらの繋がりを論じたい。

 

追記:装飾古墳は壁画古墳とも言われる。しかしそれほどの差異はないと考える。

 

  出所不明:申し訳ない。

 

 

 

追記:『ブア族フクロウ仮面』がアフリカ雑貨店 アフロモード様で販売されている。その写真はお見せできないが,連続した三角文様で縁取りされている。