1960年代,アフリカ諸国が次々に独立した。モザンビーク解放戦線なるものがあることを知ったことがあるが,次々に独立したので国名と場所が一致しなくなった。能力があれば覚えられたのだが残念であった。ただその独立した諸国が国連で米英に盾突いて欧米を困らせる事態になったことを覚えている。

 とすれば米英フランス等の反撃も凄まじくあったのであろう。私はそれ以後のアフリカをよく勉強しなかった。反省。とは言え,全く関心がなかったわけではない。或る国際会議で南ア代表が白人と黒人とが仲よく収まっている写真をわれわれに提示してアパルトヘイトが終わらんとしていることを示した。本当かどうか俄かには信じられなかったが,その後の発展を見ていても黒人・白人の平等が確保されているとは思えなかった。ユーガンダ(Uganda)のアミン大統領の独裁とかローデシアの混乱,南アの黒人指導者解放などは知っていたが今日のBRICsに代表されるアフリカ諸国の発展を知らなかった。学生時代,日本人が「名誉白人」なる称号をもらっていることをTIME誌を読んで知っていたぐらい。"The Second Honourable White".

  中国がアフリカに進出して彼らの尊敬を勝ち取っていたらしいことを知ったのは最近の話である。習主席がアフリカを訪問して絆を深めて言ったことも覚えているが,それほど重要視していたわけではなかった。まだ西洋史観(欧米崇拝)から抜けていなかったのであろう。故加藤周一の言う[和魂洋才]を研究中であって理解し極めるまで時間が相当かかってしまった。最近はサヘル諸国がフランスを追い出したそうだが「サヘル」という言葉さえよく理解していなかった。金が取れるスーダン南やダイヤモンドが取れるコンゴなど貴金属中心の理解であった。

 それが今,ウクライナの穀物輸出やロシヤの無償食料援助などアフリカと中露の結びつきの話題が私の関心を引きつつある。しかしアフリカに関する情報は,rt.comぐらいからしか得られないので重宝に思っているが,中国をみればおそらくアフリカとの貿易や文化交流がわかって来るのかなと考え,アフリカみえてくるのかなと思っている次第。ピレネーを越えるとそこはアフリカというのがフランス語であったが忘れてしまった。しかし勉強したことは無駄ではなかったと思っている。例えば,ほとんど忘れてしまったフランス語。辞書さえあればだいたいのことは読んで理解できるので挑戦して最後の私の活動としたい。Followersの皆さんからいろいろ教えて頂きながら,反省を込めてアフリカのことを取り上げてみたい:

 

rt.comから引用。

 >ギニアビサウのオマル・シソコウ・エンバロ大統領は、西アフリカの国の兵士がチェチェンにあるロシア特殊部隊大学(RUS)で訓練を受けるよう要請したと、共和国首長ラムザン・カディロフが土曜日に発表した。この要請は、ロシアへの実務訪問の一環として金曜日にチェチェンの首都グロズヌイに到着したカディロフ氏とエンバロ氏との会談中になされた。

 「私たちは互恵的な協力と友好関係の発展の可能性のある分野について話し合った」とチェチェンの指導者は自身のテレグラムチャンネルに投稿した声明の中で述べた。

 「彼(エンバロ氏)は、ギニアビサウとロシア連邦の主題であるチェチェン共和国との間の友愛関係を強化するだけでなく、さまざまな分野での交流の可能性への用意を表明した」とカディロフ氏は付け加えた。グロズヌイへの訪問に先立って、ビサウ・ギニアの指導者はモスクワでの5月9日の戦勝記念日パレードに出席した後、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と会談した。

クレムリンのプレスリリースによると、会談中、プーチン大統領は、ギニアビサウからより多くの学生がロシアに留学できるよう「より大きな枠」を設ける用意があると発表した。

「ロシアとギニアビサウは、世界的な議題上の多くの緊急問題に対処する際に団結を示し、多極化した世界秩序の出現と安全保障問題に関して緊密な立場を共有してきた。重要な問題に関してこうした接触を継続することを期待している」とプーチン大統領は述べた。これに対しエンバロ氏は、ギニアビサウはモスクワにとって「信頼できるパートナー」であり続けると述べた。

「我々は現在、良き同盟関係にあり、今後も良き同盟関係であり続けることを望んでいる」と付け加えた。

 

「我が国への脅威」:なぜ旧フランス植民地は「アフリカ版EU」離脱を決めたのか続きを読む:「我が国への脅威」: なぜ旧フランス植民地は「アフリカ版EU」からの離脱を決めたのか

モスクワとビサウには50年以上外交関係があり、その起源は旧ソ連がアフリカ国家のポルトガルからの独立を支援した1974年に遡る。モスクワ経済高等学院アフリカ研究センター所長のアンドレイ・マスロフ氏は月曜、RTに対し、ギニアビサウの軍事・治安機関の指導者の大多数はソ連とロシアで訓練を受けていると語った。

 「この国は、よく訓練された特殊部隊が対処しなければならない課題に直面している。これらはまず第一に海賊行為と麻薬密売であり、この国には外敵はなく、近隣諸国と友好関係を維持している」と述べた。<引用終

 

 英米仏による中露いじめはアフリカ支援の反発からも理解できる。彼等は中露を怨んでいるのである。日本の新聞・TVはアフリカ諸国を報道しない。川の反乱による洪水被害や異常気象あるいは大事故などが主な報道内容で,政治経済的にどうなっているのか報じないので一般の国民は情報が不足しており,判断する手段が少ない。私はインドの住んでいた時,世界の出来事が報道されていたことを思い出すと,BRICSにインドが加わったことは当然であろう。世界のニューズが国内に流れて来るのである。しかし日本は情報鎖国のまま今日を迎えた。進む道は当然,G6のケツを追いかける下駄の雪=金魚んのうんこでしかない。ダメメリカ様の言うなり。お財布携帯と堕してしまった。それがG7という一員の本当の意味である。

 

追記:ポルトガルはオランダと同じく世界に先駆けてアフリカや南米や太平洋に植民地を造ったが英仏に敗れて目立たない存在となってしまったが,まだ勢力下に置く地域が残っている。

 

 ポルトガルの影響はあるのかしら。それはスマズ・ダンスがこの地方にも残っているのである。

 

追記2:インドの知り合いミンミンはドイツに留学した後,南アフリカに留学したという。なぜかはしらねど。