2023年3月


3月にしては暖かい日が

続いています。 


何となく覚えがある暖かさに

何となくカレンダーに

目をやると…、

今日は2023年3月○日。


そうか、

あれから丸2年経ったのだと…

気付かされました。


不定期の私のブログですが、

久しぶりに書いて行こうと思います。


2年前の3月のあの日、

私は息子の卒業式に

行く事ができませんでした。

行ける状態ではなかった。


世の中はまだコロナ蔓延期で、

卒業式そのものも感染防止の為に、

制約された式になっている時期でした。


一気断薬の激しい後遺症で、

卒業式も行けず。

入学式にも行く事は

ありませんでした。


高校三年生の息子は、

受験生だったのですが親として

彼を支え、励ます事が出来ない

不甲斐ない母でした。


外出や買い物、

運転も出来なくて

毎日、ほとんどの時間をベッドの上で、

もがき苦しみ


底知れない恐怖と不眠、

身体中の激しい痛みに

耐えるだけの毎日でした。


もう生きて行く事を諦めたいと…

何度も思いました。


死に憧れては

憧れが恐怖にかわり

呵責に苛まれる日々を

過ごしていました。


家事は生きて行く為の

最低限の出来る事のみ。

買い物なんて行けない。


必死でスーパーに行っても

レジが待てないのです。


レジ待ちが苦痛で恐怖で

買い物荷物を放置して

帰って来る始末。


なんとかレジに

たどり着いたとしても

支払いを確認して小銭を

出す事が出来ず、

カードもしくはお札での支払い。


ワナワナした自身の

異様な行動が 

抑えられず、

ひと目を気にして 

挙動不審な自身を恥じる日々。


震える手でお釣りの確認なんて

出来ない状態でした。


家族に分担してもらい助けて貰って

何とか日々を回していたあの頃。


受験生の息子の為に母として

何もしてやれなかったあの日々。


生きている事だけが

免罪符の様な日々でした。


息子の目に映る母は…

陰の邪気に支配された

途轍もなく凶々しい存在だったろう。

母親とは程遠い存在だっただろう。


世間ではコロナ禍と言う前代未聞の

状況の中、さぞかし不安だっただろう。


私は離脱症状と言う

自分の苦悩に

飲み込まれ

苦しい姿を晒して

生きていました。


必死で今日を過ごしていました。

家族を思いやる事すら出来ずに…。


そんな中でも

息子は目標に向かって努力を重ね

そして第一志望に合格してくれた。

2年前の出来事です。


あれからもう2年。

いや…まだ2年。


人生のかけがえのない時間と

貴重な出来事を沢山

無くした日々でした。


現状まだ完璧ではありません。

時折、不安感、恐怖感等が

自律神経の不調も辛いです。

フラッシュバック的な感情も

襲ってきますが、 


あの頃よりは回復しています。

あの辛すぎた日々は

立ち去ってくれました。


離脱症状は回復するんです。

身をもって体現しました。


3月の風に

ふと2年前を思いました。

取り戻せないものばかりですが…。


ひとつしかない命を長らえられた事を


…私、…頑張ったよ…。


あの頃の自分に伝えたい。


大丈夫。

また普通の毎日を過ごせてるよ、

今日を生きてるよって…。


今、離脱症状に苦しんでいる方々

沢山の症状と闘ってられると思います。


苦しんでいる方々に気持ちを馳せた時、

辛くて震えが襲ってきます。


離脱症状の辛さは

人が毎日継続的に経験すべきもので

あってはならない程の苦痛だと思います。

少なくとも私には、

人生でこれ以上の辛い経験は

なかったです。


精神薬を飲んだ為に

こんな事になるなんて…

辛すぎます。キツすぎます。


けれど…


諦めないで!

絶対に諦めないで!


大丈夫だから、

今のその苦しみは

必ず立ち去ってくれます。

諦めないで!



精神薬によって

破壊された脳の回復を

待ってあげて下さい。


自分を信じて。

今を生きて下さい。

頑張る自分を褒めて

抱きしめてあげて欲しい。


大丈夫。きっとまた

笑顔になれるから…✨