ところで音楽生活は・・・ | 斎藤社労士事務所

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代表のシャイとうさんが興味あることを記録しています。

岩ちゃんとバンドは組めなかったのですが

プロへの憧れは消えずギターの練習だけはしていました。

 

そして音楽プロデューサーといわれる方の現場へ

何度か足を運んで勉強させてもらいました。

 

 

 

 

 

その当時、音楽プロデューサーと言えば

小室哲哉さんや小林武さんが大ヒット曲を連発させていました。

 

僕が少しお世話になった音楽プロデューサーも

若い女の子たちをプロデュースしていました。

 

僕は、プロデューサーに呼ばれ

マンションの一室にあるスタジオに行きました。

 

そこには地方から高校を中退して

東京にやってきたという女の子たちがたくさんいました。

 

 

斉藤

・・

始めまして。斉藤です。

 

 

女の子

・・

こんにちは。〇〇だよぉ!

 

 

斉藤

・・

学校は行ってないの?

 

女の子

・・

辞めて東京きたの。

地元つまんないから。

アイドル目指してるの。

 

 

斉藤

・・

そうなんだ。

 

 

女の子

・・

見て!見て!

この前、プロフィール写真撮ったの。

 

 

 

このプロデュースされる女の子たちは

自分たちが近い将来アイドルになるという夢がありました。

 

きっと両親の反対を押し切って東京に出てきたのだろうと思います。

それは10代にしかできない思い切った素晴らしいことです。

 

しかし、僕は何かが違うと思うようになっていました。

 

僕と岩ちゃんが、一緒に音楽で飯を喰っていこうとする楽しさ

無謀と言われようがチャレンジする度胸

そういう夢を見ることが遠い世界のように思えました。

 

ただ売れて有名になればいい!

 

僕たちが求めていたものは

そういう世間体ではなかったのです。

 

僕は、早い時期にプロデューサーと知り合い

少しお仕事がご一緒できたことは

とても幸運だったと思います。

 

僕には、合わない世界でしたから。

 

僕が、岩ちゃんとバンドを始めようとしたときに感じた

ワクワク感やドキドキ感はまったくなく

当時の僕には

 

「もう辞めたほうがいいぞ!」

「おまえには合わない世界だぞ!」

 

という

 

天からの助言のように思えたのです。

 

 

つづく