とても閉鎖的な式典を生中継で見ていた私は、「軍事大国の本質」を感じた。
中国お手製の兵隊と兵器は中国が強国であるということを誇示していたが、発表されなかった軍事も存在する。新型ICBM「東風41(DF―41)」と潜水艦発射弾道ミサイル「巨浪2号(JL―2)」である。「東風41」は最新型ICBMで、北米大陸のほぼ全土を射程圏内に収めている。潜水艦発射弾道ミサイル「巨浪2号」はICBM「東風31」の改良型であり、射程距離は約8000キロで、中国近海から米国本土に届くと言われている。中国がこの強力な兵器をパレードに登場させなかったことが、「軍事大国 中国」の本質だと思うのである。つまり、手の内 明かさないということである。 
 私は「軍事大国」の本質を見たと同時に古臭さも感じた。もちろん、兵器の質は各段に上がっていて、日本やアメリカを射程圏内に収める新型ミサイルは、最新そのものであった。しかし、軍事パレード含め、式典は、どうも“21世紀”とは思えなかった。理由はおそらく、中国という国の本質にあると思う。どんなに発展が著しくても何か古臭さや新しいモノへの違和感が中国にはある。北京には真新しい建造物がいくつもあるが、いずれも北京に馴染んでいるとは言えない。中国という国が、それを受け付けていないような気さえする。このような疑問というか、ある種の強迫観念は今回の閉鎖的な式典でさらに高まった。
 最新兵器も建物と同じで馴染んでいなかったと思う。それは、中国が非常に古典的な国家であるからかもしれない。古典的というのは、私の個人的な考えであるが、政治体制が古代からほとんど変わっていないことを言っている。秦代に始皇帝が行った焚書坑儒という名の政府による弾圧は、やり方こそ違えど今現在も少数民族、特定の宗教を対象に行われており、独裁体制も一度も崩れることなく続いている。つまり、中国は秦代から一切変わっていない国家と言えるのである。そのため、簡単に表現すれば、小国が必死に自国をアピールしているように見えて仕方がなかったのだ。
 行き過ぎた「警戒」もそのアピールしているように見えてしまう要因の一つであった。140万人の治安ボランティア、7万台のタクシーに盗聴装置、街の至る所に監視カメラ、武装警察の配備、北京国際空港の3時間閉鎖、そして、軍事パレードの会場でもあった長安街や天安門は、戒厳令が敷かれた状態と言ってもよかった。メディアはこの警戒態勢について「虫も入れず」と表現したほどである。当日の式典を見ていてわかったと思うが、まさしく、「虫さえも入れなかった」。この警戒は、60周年の式典をどうしても成功させたいという、いわゆる面子を大事にしたからであるが、その面子第一主義が国家の弱さも露天させた。政治基盤が揺らいでいるという事実や反政府的活動、民族問題に怯えているということを内外にアピールしてしまったのである。
 古臭さ以外にも私の頭に引っ掛かったことがある。中国は60周年式典の中で社会主義の素晴らしさを謳い、これからも社会主義を貫くという強い意志を発信した。これは違う見方をすれば、社会主義を守るためにさらに締め付けを強くするとも取れるのである。締め付けとは少数民族へのそれである。今回の国慶節は民族の団結を大きなテーマに掲げていた。そのために天安門広場の前には56本の柱、軍事パレードは56編隊であった。私は、このテーマを聞いた時にふと思ったのである。「民族の団結の意味をどう捉えているのだろうか」。
 56民族のうちのほとんどを占める漢人が残りの民族を牛耳っている・搾取している、という構図は「団結」ではない。しかし、中国に言わせればこの構図が「団結」であるらしい。民族が独立をしたいと言ったら、押さえつけて黙らせる。「少数民族が黙っている」ということが団結に直結するのだと考えているとも言える。チベットを例に出せば、チベットは中国とは全く違う国であるが、中国の侵略によって中国化されてしまった。パンダはチベットの動物であるという「真実」はもはや「虚言」として扱われ、最初から四川の動物だと思われているようになってしまった。また、ダライ・ラマ法王が住んでいたポタラ宮の前には図々しくも五星紅旗が掲げられている。
 これは、民族を弾圧、略奪をした結果で「中国的団結」なのだ。わかりやすく言えば、民族のアイデンティティを押さえつけて、それを否定し中国化する、もしくは中国がそれを吸収するということが「中国的団結」なのである。民族浄化を図っていながら、自分たちのその行動を民族団結への健全的な政策だと勘違いしている中国は恐ろしい大国であり、救いようのない大国である。今回の「民族の団結」を謳ったことにより、さらに救いようがなくなったと感じている。
 60周年式典は大きな騒動はなく、なんとか静かに終わった。しかし、国慶節の1週間ほど前から天安門付近では通り魔事件が2件、爆発事件が1件起き、当日は香港では大規模デモ、台湾では独立派が中国国旗を燃やした。そこを考えれば、静かに終わったとは言えないかもしれない。中国という多くの問題を抱えている国家が、有意義に使えば国民の生活水準が上がるということを知りながら、莫大な予算を用いて行った式典は、中国国民に新たな不満を与えた。しかし、国民はその不満を大きな声で言えないのである。これが、不満の蓄積を生み、後に大規模な蜂起という形で政府に襲い掛かってくるが、それを弾圧するのが原因を作った政府側であるから救いようがない。この「政府によってもたらされた不満が原因で蜂起へ。政府が蜂起を弾圧し、押さえつける。それによってまた不満が蓄積する」という「負のサークル」が中国を救えない状態へと追い込んでいくのである。中国の政府体制は中国国民を追い込む最大の禍根と言える。その禍根を切り取ることができない、監視さえもできない今の中国の体制は世界最大の禍根なのである。