私の『快適のさばり食』ができたきっかけを、お話ししましょう。


私は、42歳になる2週間前に脳梗塞で倒れました。

義伯母の納骨の日で、日曜日なのに早起きする必要がありました。

当時、新居に引っ越して1ヶ月余り、片付けや仕事で疲れ果てていて、起きるのが億劫でした。

目が覚めて、目を開けると、視野の4分の1が切り取ったように真っ黒だったのです⁉️

片方だけなら目が原因と思う冷静な自分がいましたが、どちらの目を塞いでも見え方は同じだったので、これは脳からきているとすぐにわかりました。

夫に急いで知らせ、近くの脳外科病院を受診しました。

CT検査の結果、脳梗塞で即入院となりました。

入院して2日は、それまでの疲れと寝不足を解消するために、ひたすら眠りました。

治療は毎日の点滴だけだったので、何もやることがなく、疲労解消にはすごく役に立ちましたが、仕事の断りの電話や、子供の習い事の連絡で、夫は大忙しだったようです。

この視野に影響した脳梗塞は、結果的に少量の脳出血になりましたが、順調に回復し、視野も滲むように見えるようになっていきました。

その後は、2度目の脳梗塞を起こしたり、卵巣がんが見つかり、手術後に抗がん剤治療をしたりと、大波乱の半年を送って、その年は暮れていきました。


退院してからまず困ったことが、体力がなくて朝起きられないことでした。

まだ息子たちは高校生と小学生だったので、朝食を食べさせて送り出さなければなりません。

夫も通勤があるので、やはり朝食の支度が大問題でした。

幸いなことに、夫はとても協力的で、起きられなければ自分が世話をすると言ってくれました。

その時以来、私は朝はいない人、という不文律が成立して今に至ります。

約半年にわたる入退院で、慣れていたためだろうと思います。

その後長い時間が経ち、上の息子は独立しましたが、下の息子はまだ家から仕事に通っています。

そして、コロナ禍がやってきて、夫は在宅ワークになりました。

相変わらず、私は朝はいない人です。

息子が出勤した後、時間のある夫は、洗濯までしてくれるようになりました。

最初は、洗って干すだけだったの、だんだんと畳んでしまう、まだやるようになりました。


私はその分家の中でよりのさばっていられるようになったのです‼️


現在の私は、脳梗塞の再発も、がんの再発もなく、通院する必要は全くありません。

さらに、十数年通った筋トレの成果か、チベット体操の成果火はわかりませんが、健康診断をしてもチェックが入るところは全くありません。

ここまで来られたのは、退院してから、自分の好きなものを食べてきたからだと自負しています。

入院中は、食感や食材、味付けのせいか、病気のせいかはわかりませんが、食欲が全くなく、体力も気力もどんどん衰えていました。

その時の希望は、退院したら、好きなものを食べよう❗️だったのです。

退院後は、自分で作るから、好みの味付けで、好みの食べ物を好きなだけ食べてきました。

もともと栄養士の私なので、必要な栄養素や熱量は把握できていたので、自分なりのこだわりで調節しながら健康を保ってこられたのです。


ここで、私が健康を回復して元気でいるために行ってきた食生活を、『快適のさばり食』として、みなさまにお伝えすることを決心しました。

この『快適のさばり食』は、何歳になっても健康で元気に世の中でのさばるために必要な食事 と定義しました。

必要な栄養や熱量は、年齢や体格によって違うので、それぞれコンサルさせていただきます。

また、健康や食生活でお悩みのある方にも、コンサルをいたします。

こんな、私の『快適のさばり食』に賛同してくださる方は、コメントしてくださいね。