あるがまま、心のままに。。。

朝晩がやっと涼しくなってきた

風も心地よく、窓を開けて空気を入れ替えるのも楽になった

少し前までは窓を開けると熱風が舞い込んでいたのにね


庭手入れも放置して、朝夕に水遣りのみだったので

芝も草も生え放題!

背の高くなった草をむしり、オリーブの木を植え替えた

腰の高さくらいだったのがいつのまにか私の背丈と同じくらいになり

小さな植木鉢では頭でっかちになり、風が吹くと倒れそうになっていた

それでも健気に幾つかの実をつけていた

草を取り除いたら、幾つも落ちていた


出しっぱなしのサンダルが縮んでいた



100均のサンダルで2代目と比べても子供のサンダルのよう

サンダルも干からびるんだ!


いつの頃からか、500円玉のお釣りが来るとチャリンと貯金箱に入れ

貯まると旅行のお小遣いにしている



以前はアフラックの貯金箱で9万円くらいでいっぱいになり

郵便局で入金して…だったけど

こちらにしてからはかなり貯まりそう

もう少しで10万円到達

友達に話すと、500円玉がなかなか手に入らないそう

彼女はほとんどの支払いを◯◯payでするので小銭がほとんどないとのこと

今はスマホ決済が進んでお財布を持たなくとも買い物ができる

でもなぁ

お財布の中身と相談して!という買い物の仕方が私は好きだ

もちろんカード払いもするし、◯◯payもあるし使う

それでも現金で支払っていると、身の丈にあった生活が出来ているように思う


今はコンビニとかの支払いで「ピッ」で済ますことが多く

お子さんの中にはお釣りをもらうという概念がないそう

だからお釣りで小銭の数を数えられない


子供の頃、10円玉を貯めてお菓子屋さんや文房具屋さんへ行き

好きなものを買うというのが本当に楽しみで

貯金箱が重くなることがワクワクしていた

雨戸の開け閉め、玄関の掃除、夏休みは稼ぎ時だった


時代は変わるんだ

気候も変わり、スマホがないと生きていけない世界に

私はついていけるのか


そして貯めた500円玉を入金するのに手数料がかかるようになり

貯めるのにどういうこと?

何回かに分けて持っていくのもめんどくさいなぁと思うこの頃


暑い!

9月に入ったというのに猛暑日が続く


8月16日に高校のクラス会があり

久々に飲んだなぁ〜と思う日だった


今年の暑させいか、年齢のせいか体力が奪われて

クラス会の後ダラダラと家で過ごした

8月はお稽古も休みが多く、後半はただ日常の買い物だけで

電車に乗ることもなく過ぎていった

家にいるならとイーネオヤの簡単なものを作っていた


でもでもでも!

本を読むとか、スマホを見るとか、イーネオヤを編むとか

俯き加減の姿勢でいたら

エアコンの中にどっぷり浸っているにも関わらず

鎖骨より上が急に暑くなり、汗がダラダラ流れる

瞼の間に汗が溜まり被れる

首に汗疹ができる

これって、ホットフラッシュというやつなのかな?

ホルモン剤の影響なのだろうか?

今度の受診日は術後1年の検査だから11月末までない

わざわざ受診するほどのことでもないのかと

漢方を1日2回を3回にしてみたら少し良さそう

やっぱりホルモン剤の影響なのかなぁ


あっという間に9月になり

今週末からライブだイベントだと忙しくなる

体力温存に勤めた結果







出来上がったものたち

イーネオヤを作りましたとは大きな声で言えないほど

簡単なものばかりだけど

家にある物だけで作るという色選びとか頭の体操になった


あとはWSのキットを作るだけとなり

首の汗疹もだいぶ良くなり…


なのに今週末…台風

伝説の奴らが台風引っさげて来るらしい



「暑い」という言葉しか出ない毎日で、気づいたら8月も半ば。

お稽古も夏休みでエアコンにどっぷりと浸かりながらの日々。


今年は戦後80年ということで、いろいろと特集番組がある。


小学6年の1学期に父の広島への転勤が決まった。

区切りのいい中学から転校するということで父は単身赴任となった。

夏休みの旅行は父のもとへの広島となった。

1〜2歳の頃、広島と山口の県境への転勤があり

暮らしていたらしいがほとんど記憶がない。

だからこの時訪ねた平和資料館が私にとっては初と言ってもいい。

あまりに衝撃に夜眠ることが出来ないほどだった。

溶けて固まった針の山、ひしゃげた時計、そして写真の数々。


中学生となり、広島での生活が始まった。

広島平和大通り(通称100M通り)に面したマンションで

平和資料館へも20分くらい歩けは行ける中心地に近い場所。

その頃はまだ住友銀行広島支店の階段に

「人影の石」と呼ばれる階段が風雨にさらされたままあった。

中学は平和教育が盛んで少年赤十字の活動をしていた。

だからか、校歌は全く覚えていないが

少年赤十字の歌と「原爆を許すまじ」は今でも覚えている。

100M通りに夾竹桃の花が咲き、凪の暑い日の8月6日。

太田川の辺りにはまだ原爆スラムと呼ばれる家が立ち並び

世間は「こんにちは〜こんにちは〜世界の国から…」の大阪万博の年。

戦争を身近に感じた1年だった。


8月12日。

日航機事故から40年。

あの日より10日ほど前に友人とグアムへ行った。

成田からの夜便で、機内食が配られるというアナウンスの後

急にCAの方々がバタバタし出した。

英語のアナウンスのみだったけれど

なんだか成田へ戻ると言っているよう。

成田へ戻り、順番にバスに乗せられてホテルへ行った。

どうやらエンジントラブルで成田へ引き返したそう。

そして私たちは出国扱いで、スーツケースは飛行機の中

手荷物のみでホテル宿泊。

着替えも何もなく、しかも旅行は1日減らされた。

グアムで同じホテルの方たちとグアムは近いんだから

ピューと飛べはいいのにとか散々文句を言い合った。

その後の日航機事故。

戻ることが出来て本当によかったと思った。


(ロストバゲッジ対策だけでなく

手荷物に1泊分を持つということも学んだけどね)


今日は8月15日、終戦の日。

父や母が語っていた戦時中の話を改めて思い出す。

絶対に戦争は起きてはいけない。

最近は広島平和資料館は子供が怖がるから

修学旅行などのコースから外して欲しいという親御さんがいるという。

そんな怖がるようなことを人間はしてきたんだと

教えるのも教育ではないだろうか。

私も怖かった、眠れなかった。

やってはいけない事をなぜいけないのかを

教えるのが大人の勤めで平和を作ることではないだろうか。


明日から8月も後半。

いろいろともの思う前半であったけれど

この暑さを乗り切れるよう過ごそう。

そんな事を考えられる幸せに感謝して。