ウォン・カーウァイ監督は、日本に興味を持っているのだろうか。
 彼の経歴を知らないが、影響を与えた国の一つであることに違いないと考える。

 そう確信したのは、映画『2046』に出てくるある場面だ。映画で2046行きのミステリートレインの車掌であるワンが話した「アンドロイドが衰えたこと」へのたとえ話がそうだ。「天人五衰」。これは、日本の最も著名な文学者の一人である三島由紀夫の『豊饒の海』4部作の第4巻に出てくる。
 また、「転生輪廻」という考え方もそうだ。仏教では人は、生まれ変わり、繰り返し行き続けるという。悪事を働けば、次の生に影響を出るという考えは、日本人ならば聞いたことがあるのではないか。
 仏教にはまた、「不生不滅(生じもせず滅びもせず常住不変であること)」という考えがあるそうだ。一方で、諸行無常という世の中に不変なものなどない、という考えもある。「世の中に変わらないものはあるのだろうか」。勘のいい人は気付くだろうが、「50年後も変わらないものなんて、この世にあるのか」というウォン・カーウァイ監督の問いと合致する。
 両者の考え、ただ、不変か無常かの違いはあるものの、両者に共通する「すべての事象は繰り返されている」という考えに関しても、映画『2046』から感じられないだろうか。『花様年華』での出来事が『2046』でも繰り返されているような気がする。女との出会い一つにしろ、スー・リー・チェンと同名の女と出会うところも、そうである気がしてならない。

 どちらにせよ、これら仏教の考えを理解することは、『花様年華』も含め、wkwの映画をより深く理解する一助になることに間違いはないと思う。ここ数日俺は、仏教の考えをWEBで読み漁っている。それらは、面白いほどこの映画の主要な要素と重なっている。文学と宗教、新たな視点に出会うことでまた、一歩理解が深まった気がする。