さてさて、開設以来摩訶不思議な文章がblog内に多いが…。いや、こんな普遍的なことばかり考えてる大学院生って危ない人間に見られるだろうか。しかし、就職活動を始めるに当たって再度自分を見直したら、そんな人間なんだなということを再確認した。先日OBOG訪問をした。とても良い人だった。自分の自分への評価を、「しっかり分析されてる。これ、いいよ」と言ってくださった。

 このように人間の心理ばかり考えていたら、昨日行った学部生のための卒論勉強会でついつい愚痴ってしまった。
 
 その研究は、『日本政府が何故海外の援助活動を有効にPRしようとしないのか、それは日本政府がそうすることに躊躇しているからであると、専門家はインタビューで答えているそうだ。援助していることを堂々と主張できないという話らしい。そこで、PR不足を対処するために、よいPR方法を企業のPR活動と比較して見出したい。』というものだった。
 私の意見はこうだ(こういう話になると、「俺」より「私」が似合う…笑)。しかし、そもそも企業のPR活動の目的と政府によるPR活動の目的は異なる。企業は営利のために、海外援助でさえ必死にPRしようとするため、比較対象としては選択してはならない。加えて、PR活動に躊躇している日本政府がそれに躊躇していない企業のPR手法でPRさせたところで、何が変わるのか。PR不足を対処するならば、躊躇しているという現実を受け止め、それを対処すべきではないか。学部生に言ってしまったのは、そのような人間的な心理の話だった。「そもそも躊躇している政府に躊躇していない企業の手法を与えて対処できるのか。できないだろう。だって、自己主張したくてもあがり症で自己主張しようとしない人に、プレゼンテーションが上手い人の手法を教えたところで上手く説明できるだろうか。どこかでつまずくだろう。それよりは、あがり症を治すよう経験を積ませる等、根本的な問題を治すことが重要ではないか…」と。

 自分の研究会は政治分析を行っているため、あまり人間的な話を好まない。先輩にも後輩にも、完全にこの話は排除された。説明力不足もあったが、システマティックに分析手法に当てはめるだけの政治研究というのもいかなるものか。もっと、多角的な視野で分析対象を捉え、考えてもいいのでは。なんて、こんなところで愚痴ってる自分も、たいした人間ではないな。これからはもっと、現場で主張しよう。自分の実力不足に後悔していたので、つい、ここに綴ってしまった。
 一方で、政治だからこそ、人間的な感情を差し引いてシステマティックに分析すべきというのも重要だ。彼らに排除された私の意見は場違いの意見だったのかもしれない。いろいろな意見があるだろうから、もう少し、政治研究をする人間として、研究手法を考えたい。