2016年1月18日 付けの読売新聞朝刊に
掲載されていた、コラムをここで紹介したいと思います。
学生25年 一つも無駄なし…新垣勉さん

沖縄・読谷よみたん村で生まれ、父は米国軍人、母は日本人でした。
出産時に誤って家畜用の薬で目を洗われ、失明しました。父は1年で帰国、母は再婚し、
私は祖母のもとで、母を姉と教えられて育ちました。
祖母の口ずさむ琉球民謡やラジオの音楽が私の原点です。
小学校から高校までは、那覇市内の盲学校で寮生活を送りました。
勉強嫌いで、点字を覚えるのが遅く、小2を2回経験しました。
好きな音楽は勉強したくても当時、視覚障害者用のテキストや音楽教室もありません。
見えないことへの歯がゆさを感じていました。
中2の時に祖母が亡くなり、周囲から両親の話を聞きました。
「なぜ目も見えず、親もいないのか」。憎しみを募らせ、
井戸に飛び込んで死のうとしたこともあります。でも、死にきれませんでした。
ラジオでかかる賛美歌をじかに聴きたくて、高1の夏休みに近所の教会のキャンプに参加しました。
牧師に「米国の父をやっつけたい」と打ち明けると、何も言わずに一緒に泣いてくれました。
私のために泣いてくれる人がいることに勇気づけられました。
高校では鍼灸しんきゅうの資格を取るコースしかありませんでしたが、音楽をあきらめきれませんでした。 東京キリスト教短期大学(現・東京基督教大)の神学科に入り、三谷幸子先生(故人)に出会い、
声楽のレッスンを受けたのが初の本格的な音楽の勉強でした。
福岡市の西南学院大神学部を卒業後沖縄に戻り、教会や病院、学校で歌い、
布教する巡回伝道師を務めました。巡回先では鍼灸の患者を集めてもらい、
治療費を旅費にしたこともありました。
声楽を基礎から学ぼうと、武蔵野音大声楽学科に入学したのが34歳の時。
大学院まで進みました。結局、小学校から大学院まで計25年間、学校に通いました。
こんな勉強嫌いな人間が、こんなに長く勉強するなんてわからないものですね。
鍼灸も含め、これまで学んだことは、一つも無駄がなかったと思っています。

プロフィル
あらがき・つとむ
1952年生まれ。2001年にCDデビュー。クラシックやポップス、
アニメソングなど幅広く手掛ける。音楽活動を始めて35周年を記念した
昨年11月のコンサートを収録、「人生に歌あり」と題して今春発売した。
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