2008年も残りわずかになりました。


私は、今年は仕事でもプライベートでも、

時間を見つけては家をあけていたように思います。

初めての国、スペイン、イラン、エジプト・・・

書きたいことはまだまだあります。


仕事納めはロンドン。

クリスマスセールが開始した町は、

気温が マイナス 6度でも、それはそれはすごい人でした。


クリスマスを 5日も過ぎた町にも、ツリーが飾ってあって

テレビでも 「Merry Christmas!!」 なんて文字がでてくるのが

あれれ?? って思ったけど、

日本でも新年を迎えてしばらくはお正月モードが続くのと

同じようなものなのでしょうね。


3月に終わった私の10年前の 202days が過ぎても、

そのままのブログで、今の私をつづってきましたが、

2009年を迎えるにあたり、202days ブログの更新は

これで終了させていただきたいと思います。

長い間、覗いてくださったみなさま、ありがとうございました。


写真を up したいと思っていましたが、

当時のフィルム現像の写真はスキャンしてきれいに up できませんでした。


今年中に トロントに行く機会があるのではないかと思って、

10年後の トロントのようすを最後にしたいなとも思っていましたが、

チャンスは来年に持ち越しになりました。


202days とは 今日で区切りをつけて、

海外生活を始めてからの、海外における思いを新しいブログで

つづっていきたいと思います。


それでは、重ねまして 長い間のぞいてくださってありがとうございました。


みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。


そら


10月19日
どうしても日本で過ごしたくて
数日ですが里帰りしました。

窓の60%を翼が閉める窓側の席から
飛行機が降下するにつれて なつかしい町が見えてきました。

滑走路に touch dowm
駐機場 = spot に向かって、飛行機はゆっくりと歩いていきます

窓の外に spot no. が順番に並んでる。
こうしてみると 関空の spot 標識は他の国に比べて小さいなぁ
なんて思いながら窓の外を見つめ

"あ、もうすぐ "spot 15"・・・
カナダ出発のときの私の出発地点が見えるかな?"

って 注目してたら、
11年前と同じ spot 15 に エアカナダの飛行機が駐機してる!!

飛行機の塗装は以前と少し違うものだけど
関空ーバンクーバーを結ぶ エアカナダの飛行機があったよ。

思ったよりも寒くない、日本の心地いい空気をたくさん吸って
懐かしい関空を足早に去りました。
滞在時間は短いのだ。

連絡橋をわたっていると、観覧車のきれいな明かりが見えました。
誕生日の半分近く、飛行機の中で過ごしました(笑)

そら

今日、忘れられない自然現象を目にしました。


飛行機の100-110マイル前方一面に広がるいくつもの雷。

え?私たち、この中を突き進むの??

大丈夫なの??

と心の片隅で思いながらも、

こんな光景を目にしていることに、言葉も出ないくらいでした。

まるで現実ではない見たこともない世界にいるような光景でした。


クリアな高い高い空には、無数の星も光ってる。

真っ暗な空には見えないけれど、

その下にたくさんの雷雲があって、3秒おきくらいに激しく光る。

前方を囲むように複数の雷があちこちで光る。


想像したこともない空の上の自然現象を目の前に

本当にしばらく言葉も出ず動けませんでした。


そして、大自然を目の前に、私の心に浮かんだ気持ち

「あれもやっぱり雷だったのかなぁ・・・」

今その確率は50%、いや、70%信じておこう、って。



今、少しづつ202daysの編集をしています。

私の202daysの記録をちゃん残しておきたいので。


誤字を修正し、実家にある写真もいくつか添付したいので

完成するまでまだまだ時間がかかりそうだけど。


202days出発の飛行機の中、

「窓の外に、雷雲が何度も光る・・・」

って表現が出てくる。


up したときは何も感じなかったけれど、

この出発の日のことを読み返し、

飛行機に乗って窓から外をながめてたあるとき、

窓の外に光る飛行機の翼の先に、サイドランプ?を目にした。

真っ暗な空の中を、少し遠くで何度も何度も同じライトが光ってた。


その眩しい光を見たとき、

あれ?あのときの窓の外の光ってこれだったんじゃないの?

この飛行機のランプを雷と勘違いしてたんじゃないの??

雷がそんなに何度も光るわけないじゃん・・・。

って恥ずかしくなった。

まぁ、そのときは勘違いでも雷って思ってたんだからいっか。

そのときの素直な気持ちなんだから、って読み返して笑ってた。


今朝の体が動けなくなった目の前の雷のパレードを見るまで。



10年前に私が思った気持ち、10年後に読み返して笑ってたけど、

今日また、何度も何度も光る、1つではない雷雲を目の前にして、

永遠に答えの見つからないなぞを私に問いかけてきました。


これを書きながら、まだ目をとじれば蘇る一面の雷を思い、

あのときの私が見たものは、

1997年8月26日にバンクーバーへ向かう飛行機の中から見た光景は

やっぱり雷だったんじゃないかと、今では90%の確率で思います。


そら

カナダで出会ったバイク少年のお話で、印象に残っていることがあります。


太平洋の水を大西洋に流すために自転車でカナダ横断をしていた少年が

旅の途中のモントリオールかトロントで

現地の病院に勤める日本人女性と食事をした、という話。


伸びきった髪、ひげ、大きなバックパック、自転車

そんな彼の姿をを見かけたその女医さんは、彼を夕食に誘ったそうです。


彼にとっては、ほとんど節約で過ごしていた食生活

たっぷりの栄養をもらってすごくありがたく

その女医さんは、彼の旅の話をとても興味深く聞いてたそうです。


彼は海外で医者というポジションで働くその女性のことを

とてもすごい人だと思う。

それなのに、何でも持ってそうなのに

その人は 「海外にいて不安になることがある」 という気持ちを時々抱く

と言っていて、そのことがとても不思議だった。

というようなことを言ってたと記憶してます。


その話を聞いたときの私は、彼の話の内容よりも

単純に、「ごちそうしてもらっていいなぁ」 という気持ちがわいた気がする。

バックパッカーにとって、節約できることと言えば、食費、宿泊費、交通費

その中でも、一番しぼれるのが食費だったから。


でも、せっかくならその土地のおいしいものが食べたい。

おいしい日本食がたまには食べたい。 食べちゃおう。


今ならこう思えることも、全財産をお財布に入れて

そこから明らかに減っていくお金を日々目にしながら 1日を過ごしていた私は

いかに食費を抑えるかが、旅を続ける期間に影響することを強く感じていました。



時は流れ ふたたび社会に属し

贅沢はできなくても自分で生活費を稼いで日々を過ごす今

私は別の視点から、バイク少年に声をかけたというその女性にとても共感します。


当時の私でさえ、自転車でカナダを横断したというその少年に興味を持ち

「本人から旅の話を聞いてみたい。」 と、強く思って連絡をしたくらいですから。


仕事で海外の町に行くたびに、生活してそうな日本人の方を見かけるたびに

「この町での生活はどうですか?」

って聞いてみたくなる。


私がもうできないこと

(何ヶ月も海外の都市で何かを学んだり、興味のあることに挑戦したり) を

今実現してる人から、その人の体験を聞くことで、気持ちだけでも得られたらって思う。

留学生よりもできれば旅をしている人に

私が訪れたことのない町の話や出会った人々の話

心に残った自然のようすを聞いてみたいって思う。


そして、これからの旅もがんばってくださいねって、

今の私にはできる、おいしいものを一杯ごちそうしてあげたいと思う。


「多くの体験をしてそうな人から旅の新鮮な話を聞かしてもらいたい、

もし見かけたら勇気をだして食事に誘ってみたいな」 ってずっと思いながらも

声をかける以前に、なかなかそれらしき日本人に出会うことが難しい。


海外に行っても滞在期間が短いからかな?

それとも、日本人のバックパッカー自体がもうあまりいないのかな?

昔のカナダにはたくさんいたのにな。 

カナダにも もういないのかな?



オーストラリアの町を歩いてて目にする

アジアの食材を売ってるお店とかで

掲示板に、「フラットメイト募集」 「パートタイマー募集」

みたいな張り紙を見つけると

バンクーバーでの日々が懐かしくて、ついつい読んでしまう。


「ほー、シドニーでのワンベットシェアは平均こんなにするんだ」

とか、家具や本とかを譲ります、みたいな広告を目にして

気がついたら、顔がほほえんでたりしてて

バンクーバーでの生活をふと思い出したりします。


この前パースに行った時は、日本人コミュニティーのような機関が

「参考書、その他書籍譲ってください」

という広告を出してたから、今私の部屋にある多くの本

日本の古本屋さんに持っていかず、次のパースに行く機会のときに持ってって

そっちに住む日本人の方に活用してもらえたらうれしいな。

って思ったりしました。


ということで

働く私が今できないこと ( = 時間を自由に使って、気ままに旅すること)

を 今実現している人から

「新鮮な生の声で、たくさんの旅のお話を聞いてみたい。」

という願い、いつかかなうかな?


もし機会があったら、最後に私からも彼らに一言だけ伝えてあげたい


"人生の中で自分のために時間を好きなだけ使えることはとっても貴重だよ。

しっかり目を開けて、たくさんのものを得てくださいね。

時が経って、今のその穏やかな心の 1日は、将来豊な実りになるから" 


と。


そら

2008年4月8-11日

仕事で シドニー(オーストラリア) に 3日間ステイしました。

もういい気候かと思ってたら、雨続き。

唯一 1枚の長袖がフル活用でした。


ノースリーブを着てる人もいれば、ブーツの人もいる。

でも、地元オージーっ子たちがジャケットにブーツが多いので、

4月の気候はこんなものなのでしょうね。

観光客にとっては、どういう服装で外に出たらいいのか ちょっと迷いがち。


チャイナタウンと呼ばれるエリア付近のお店をブラブラしてて、

この町で生活しているだろうと思われる、

多くの韓国人と日本人を見かけました。


私がバンクーバーにいた頃は、

アジアの留学生といえば日本人が圧倒的に多く、

次にあげるなら韓国人、くらいの割合だった。

また、トロントには当時バンクーバーにあまりいなかった台湾人が多くて、

その国によって、留学先都市を選ぶ傾向が異なるのかなって思ってた。


カナダの最近を知らないけれど、オーストラリアに関して言えば、

今は日本人より圧倒的に韓国人の留学生のが多いんじゃないかな?

パース、ブリスベンなんて特にそう感じる。


でも、日本人留学生が思ったより少ないかな? と 思う反面、

シドニーの町では、留学生というよりは就職をしている日本人を多く見かける。

若い頃留学していた人が、気に入ったこの町に就職で戻ってきてる人もいるでしょうね。


留学生っぽい雰囲気の人は韓国人、中国人が多い気がする。

そのせいか、おいしいアジアの韓国料理・日本料理のお店が多くて、うれしい!


道行く人を見てると、さらに日本人の方の就職率はかなり高いと思われる。

スーツを着た会社員の方もたくさんいたよ。

ホテルでもお店でもオージーと同じポジションで多くの日本人の方が働いてる。


ルームサービスを運んで来てくれた女の子も、

英語で会話しながら、私の机の上の手帳を見て、NHKのついてるテレビを見て、

「日本人の方ですか?」

という話になった。ホテルのレストランで働いてるんだって。

まわりはみんな外人だけど、いい環境で、仕事が楽しい、

って、とても生き生きしてた!


ちなみに、

私はどうもアジア人の国籍の見分け方が得意ではなく、

日本・韓国・中国はほとんど同じに見えるし、フィリピン・タイもむつかしい。

とりあえずは日本語でいつも挑戦してみるんだけど、

同僚に、

「英語圏にいるときは英語でスタートしなさい」

と言われてからは、わが国 日本、を主張しないように気をつけてる。


たしかに、私も英語で

「中国人ですか?」

と聞かれたら、


普通に、

「いいえ、日本人です。」

と答えられると思うけど、


前置きなしに、意味のわからない言葉で(たとえば中国語で)

「Θβ´ζθ¨к・・・・・」

とか話しかけられても、あまりいい気分がしないかもしれない?


同僚の意見は正しいかも。

と思い、気をつけてはいるけれど、

この人は明らかに日本人でしょう(という思い込み)

と自信を持って話しかけても、違うことが多い・・・。


あ、これは特に制服を着ている場合の話です。


私服の場合は、的中率少しアップしますよ。

だって、韓国人の若い子は、野球帽型のボウシをかぶってる子が多いし

(日本人はほとんど普段の外出にこのデザインのボウシはかぶらないでしょう)

年齢が増すごとに、日本人のおばさま方は絶対着ない、原色の上下セットをおめしになる。

日本人でハデ好きの方でも、トップスに原色や花柄をドカーンと持ってくる人はいても、

韓国人のおばさまは、同じくボトムのズボンにも同じ色の緑や紫、赤のズボンをお揃いで

おめしになる。

これは日本人にはできないマネですよ。


薄めず、ぼかさず、まさにピーマンの色の原色緑。

単品でもこれはなかなか着こなそうとチャレンジする人は日本にはいないですよ。


あと、アートメイクをしている方が多いので、眉がはっきりくっきりしてる方が多いですね。

でも、あくまで服装の好み、というだけなので、話してみると穏やかな人だったり、

意外と控えめな方だったりして、そのギャップが楽しかったりします。



話がタイトルからそれ過ぎた上に長くなりました。


旅する日本人さがし、の、今回も見つけられなかった本題は次回に。


そら

202daysブログを書きながら、

へぇー、と自分で驚くことが何度かありました。


カナダ東部を周りながら、本当に自然の 1つ 1つに感動していること。

それに比べると、今の私は何かをゆっくり眺めることが少ないな、って

もっと自然に目をむけようって反省しました。


一番驚いたのは、サンフランのユースで出会ったスティーブとのやりとりで、

メールの知識がまったくなかったこと。

10年たてば、こんなにも人々の生活になくてはならないものになってるのに、

あの頃は、本当にアドレス交換とはお家の住所の交換だった。


もし私がカナダに滞在しているときに、今のようにネットがかかせないものだったら?


自然を見て感動するよりも、現地の人々とふれあうことよりも、

ネットカフェをさがしては 1時間、2時間と、

せっかくのカナダでの時間をムダにしてたね。

ハイ、ネットのない時代に旅ができて正解です。

私にとってはね。


でも 昔の手帳を見ていると、

カナダ・アメリカから送ったハガキの数はビックリするものでした(笑)


あと、NYの町を歩くビジネスマンを見てて、

「携帯を持ってる人が少ない・・・」 って表現がでてきた。

今のNYは、日本ももちろんだけど、みんな片手に携帯だよねん。


しかも、ほとんどの携帯が滞在する国が変わっても普通に使える。

すごいね。 技術の進歩と普及って。


カナダ・アメリカで どこでも目にしてたスターバックス。

日本に帰ったら 恋しく思うだろうな、って思ってたら、

帰国して半年後に、大阪の第一号店がオープンしました。

それから あれよあれよという間に全国のあちこちに。

日本のニーズに合わせて 小さいカップが存在して納得。

アメリカサイズは small が 日本の tall サイズだもんね。


11月の Thanksgiving day、10年前はヨセミテツアーだったけど、

去年はアメリカに住む sis のお家で、アメリカ風のターキーを食べたよ。

なおとはしゃいで写真とりまくってたヨセミテツアーの 10年後には、

もうこないだろうと思っていたアメリカで

感謝祭のお祝いに参加してるなんて思いもしなかった。

人生どこでどう転がるか本当にわかんない。


スーパーボウルも同じ。

アメリカンの Leonard と Traci が、ラジオに向かって叫んでたスポーツ、

ルールも何も知らなかったけど、これまた sis のお家でTV見てたら、

「明日はスーパーボウル」 と誰もがウキウキしてるようで、

普段はゆずってくれるチャンネル権を、この日ばかりはゆずってくれなかった。

アメリカ人にとってはとても大切なイベントなんだね。


そして、私自身も一歩前へ進みましたよ。

カナダから戻ってしばらくは、本当に社会になじめなかった。

ずっとお家にいて、外へ出ることすらできない日々が続いたけど、

家族はそんな私に何も言わなかった。

今それをすごく感謝してる。


だから、少しづつ少しづつ人間が生きていく原点である、

社会から与えられる色んなものに対して、

「働く」 ということで 微力ながら自分も社会に貢献していくことにより、

毎日同じことの繰りかえしでも、そうして 1日1日を働くことにより、

ふたたび社会人に復帰することができました。


そしてそれから 5年後、

ハリファックスのユースのベットのなかで決めた 「やってみたいこと」 に

今、毎日取り組んでいます。

あいかわらず、私はいつもマイペースです(笑)


そら

202days 過ごした町の中で

帰国後 唯一訪問しているのが ニューヨーク


最初の再訪は 2004年12月 

突然の出張だった

もちろんすぐに NYに住むゆきちゃんに連絡!


98年のカウントダウンを sis とむかえて以来の NY との再会

同じだけの期間のゆきちゃんとの再会

そして、彼女の横には、ゆきちゃんに似てる 11ヶ月になる男の子がいた!


あいかわらず NYは寒い

空港からマンハッタンへ向かうバスではずっと外の景色をながめていて

遠くにエンパイヤーをいち早く見つけたよ

それに向かい少しづつ近づいていった

昼3時のミッドタウンはすごい渋滞

ホテルまでつくのにすごく時間がかった


最初の驚きは

イエローキャブってこんな色だったっけ? ということ

黄色じゃなくて みかん色だった


ロビーにスーツケース置いたままで、公衆電話に走った

ゆきちゃんに電話する私は、極度の興奮状態で

なじみのない羅列する数字を押しながら、もう満面の笑みだった

「hello?」 の声に、「ゆきちゃん!!」 って叫んだよ


近くのカフェで待ち合わせして

ドキドキのNYに警戒心を持ちながらも 早足でどんどん走っていった


カフェではかわらないゆきちゃんと、バギーの中で眠ってる isseyくん

学校を卒表してからの 10年間、私が 3回仕事をかえて点々としてる間も

同じ期間の 10年間を、ゆきちゃんはずっとNYで生活し

コーネルで料理の勉強、その後就職、そして、ママになってる!!


カフェを出て、マンハッタンを散歩しながら

どんなに着飾ってNYの町を歩くよりも

ブランド品を身につけて歩くよりも

ベイビーバギーを押して、5th Ave. を歩くなんて、かっこいい!! って思った

短いステイだったので、このときはどこも行かなかったけど

ゆきちゃんに会えたことが、NYに来た なににも勝る喜びだった


その後 7ヶ月おきくらいにNYに行ってるけど

いそがしいゆきちゃんとタイミングがあうのは、2回に1回くらい

買いたいものがあったり、食べたいものがあって

ふと口にすると

「それなら~」

ってすぐに近くの駅や場所がわかる

もうNYのことなら何でも完璧

すっかり New Yorker です


最近 NYへ行ったのは 4ヶ月前の 12月

ブログを書きながら

10年後の同じ町の今のようすを見て見たいな

って思ってたことが ニューヨークで 1日だけ実現しました


そのときは感傷にひたってあちこち歩き回り

音楽学校の近くのクリスマスツリーを見つけて足をとめました

そこは sis と一緒に写真を撮った場所


2007年のツリーは♪とかのオーナメントではなく

ブルーのリボンで統一したきれいなツリーでした


そして、ゆきちゃんとカフェでおしゃべり

4歳になった isseyくんは、プリスクールに通い始めてて

そしてゆきちゃんのおなかには、baby girl がいるんだって!!


彼女は同級生でありながら、しっかりした考えを持っていて

あらゆる相談に、ポンっと簡単に答えを見つけ出してくれます

これから先、会えるチャンスがある限り、NYに行ったら彼女に会いに行きたい



そして、カナダ編ですっかり忘れていましたが

ハリファックスのユースで出会った、ドイツのステファン

彼が 202daysで出会った人々の中で

一番仲良しだったことをすっかり忘れてました


会話をしたのは、ユースのキッチンで 1時間くらいだったと思うけど

3月に日本に帰ったら、いつくかの手紙が届いていて

しばらく文通のやりとりが続いて、秋にステファンが日本に遊びに来ました


そして、数年後、私もsis と一緒にステファンのお家に遊びに行きました


この数年、仕事でミュンヘンに行くとき、再会しようといいながら

私の予定が変わったり、彼の急な用事でキャンセルになったり

すれちがってばかり

2週間前に まだ気温 5度のミュンヘンに行って

そういえば昔ここでステファンとステファン's ママと再会予定をしていたよなって

ひょんと思いだしました


彼は男の子だけど、不思議と私にしてはめずらしく

国籍が違っても、いい友だち関係でいられる子です

彼の存在を忘れちゃいけなかった


そら

202days、たくさんの人に出会うことができました。


まずは バンクーバーに 4年ぶりにやってきた数日後、

軽い気持ちで、ドナに会いに行きました。


ドナはいつもとても元気いっぱいの人で、

見た目は本当に普通の女性だったけれど、

ともかく明るく、人間的な魅力にあふれている人でした。

すごくハンサムな彼氏マーティと一緒に暮らしてて、

みんなの憧れだったくらい、彼女の人間性がすばらしかった。


その後の手紙のやりとりでは まったくわからなかったけれど、

4年ぶりに再会した彼女は、人相も、姿も、別人になってた。


原因はマーティとの別れ、それを期に すべてを失ってしまったんだって。

次の恋をする気にもなれず、せめて以前のように留学生を受け入れて

毎日を少しでも楽しく過ごしたいと、新しい家を買ったりもしたのに

単身だという理由で断られてしまうとのこと。

予期せぬドナの変化には、4年という歳月を感じたものでした。


それ以来、気軽に昔の知り合いに連絡をすることを

なんとなくためらうようになってしまう自分がいます。

良き出会いはそのままで記憶にとどめておきたいから、かな?

だからかな? 

202daysで私の人生と重なる瞬間を少しでも過ごすことができた人で、

今も接点のある人は、本当にごくごくわずかです。


フラットメイトだった、コニー&ラリーはどうしてるかな?

コニーのお家の一部屋を借りて、バンクーバーではなおと生活してた。

そういえば、コニー&ラリーも籍を入れてないカップルだったな。

当時 50代だった 2人は、もう仕事もリタイアしてのんびりしてるかな?

今も日本人の誰かが、あのお部屋で生活してるのかな?


数年に一度の連絡をしているのは、ファームで一緒に過ごしたミッシェル。

最後の手紙もずいぶん前になってしまうけれど、

時折、思い出したように手紙を書きます。 

そうしてると、1年後くらいに返事がきたりします。


私と彼女の共通点は、彼女はその後のファームで、

私は日本に戻ってから、

それぞれ新しい社会になじむことができず、

自分を取り戻すまでに時間を要したこと。

そんな困難な時期を、偶然にも一緒にむかえたことによって、

お互い離れていながらささえあうことができたと思う。

なので、これこそ便りがないのは上手くいってる証拠と安心してます。


そんな彼女の手紙のゴシップでショックだったのは

私がこれまでみた家族で、一番憧れる、幸せに満ちていた

ノバートの家族が離婚したということ。

それも、私が日本にもどってわずか数年のことでした。


ノバートが私も知る女性との生活を始めて、

あのお家で一緒に暮らしているという話で、

ウタを思うと、オマを思うと、3人の子どもたちを思うと、心が痛い。

それでも、ミッシェルが最後にマーケットをぞいたときには、

アンカーが販売の手伝いをしてたって書いてた。


そして 2008年 現在のノバートのファームの情報には、

新しい家族のようすが書かれてる。

10年の歳月は、やっぱり長いようです。


その他の人々とは、202daysを最後に、ほとんど連絡をとっていません。

これから先の人生でも、再会する可能性はほとんど少ないと思います。

そう思うと、あの別れが最後の別れだったんだなって、

一緒にいる時間を本当に大切に過ごさなきゃいけないな って

改めて感じさせてくれます。


私に恋してくれた70代のP.E.I.のおじいちゃん。

彼ばかりは、もしかして・・・?

という、私の心配ごごろが芽生えて(笑)

昨年ブログを書きながら思わずネットでドキドキしながら検索してしまいました。

そして、一安心(笑)。

今でも B&B を続けているようで、ということはご健在です!


あとはー、

もちろん、なお。 今でも大親友です。

うれしいことも、悲しいことも、他の誰にも言えないことも

つつみかくせず言える大切な存在です。

喜びも悲しみも共有できるなおに、

最低年に一度は会いにくようにしています。

体調が悪くても、顔を見ただけで元気になれるほどの存在。

私のエネルギーの源なので。


かおりはママになりました。

今でも時々世界からハガキを送り、時には電話して、驚かせています。


会っていないけれど、一番連絡を続けてたのはりょうこちゃん。

彼女はあのとき強い意志を持って言ってたように、

日本に帰国と同時に資格を取り、医療の分野で今も活躍しています。

毎日が忙しそうな彼女は、何度もアドレスを書いてくれるんだけど、

私はどうしても手紙かカードを書いてしまう。


メールのない時代に出会った人々との連絡は、

届くまでに数日、時には数ヶ月かかる、手紙の存在が好きです。


あと、NYのゆきちゃん と my sister

この 2人はアメリカ在住でありながら

日本にいる友だちよりも年間に会ってる回数が多かったりします。


そら

202days から 10years が経ちました。

ようやく、こうして 202days をまとめることができました。


もう少し 202days の補足と、

今の私から感じることを 書き残しておきたいと思います。


まずは、私とカナダの接点について!


18歳のときに初めてホームステイしたロス郊外の家族や

語学研修で 3週間ステイした バンクーバー郊外の人々と

いつもいつもお互い手紙の最後に

"See you soon."

と書くのに、それが実現するのはいつなんだろう?

って 書くたび、見るたび思ってた。


1年間有効のカナダ往復のオープンチケットを買って

自分が納得するまで旅を続けよう

って、思った一番の目的は、それを実現すること。

つまり、大泣きして Good Bye した人々に ふたたび会いにいくこと。

その場所をもう一度訪れることだった。


カナダを周遊してみたいと思ったのは

空港で働きながらいつも見送る立場だったから。

"自分も行きたいな"

って 思いが強くなっていたこともあった。


そして 私より先に退社した ベストフレンドなおが

ワーキングホリデーで一足先にカナダに渡り

あちこちからの絵葉書を受け取るたびに

ワンルームの部屋の壁に カナダの風景のポストカードをはりまくっては

カナダ東部にあこがれを持ちはじめてた。


カナダでの日々は、ひまわりノートをめくるたびに

"初めて"

という表現がすごく多く出てきて、

本当に次々と色んなことに出会い

楽しみながら過ごしていたんだな、って

今読みかえしてもうれしく思います。


あれから 10年。

初めて聞く名前の国々を含め

毎日あちこち飛び回っているけれど、

1998年以来、まだ一度もふたたびカナダに足を踏み入れてません。

その理由は、202days で もう充分満足したからかな?

それほど 私にとって 202days は 大きな経験でした。


本当は 10年目をむかえる 2007年8月26日から

数週間に短縮して、思い出の場所をまわってみようと思ってた。

でもそれができず、

かわりにブログで毎日を振り返っていくことにしたんです。


ノートをめくるたびに記憶が蘇り、

"バンクーバーは 今でも日本人の留学生であふれてるんだろうな"

"ロブソンやデンマンのお店はどう変わったかな"

などと 202days を懐かしく思っていました。


すぐに行きたいわけではないけど、

24歳の私が 202days かけて訪れた町に

いつかまた、行って見たいなって思います。


行き先をしぼって選択するとしたら、

やっぱり生活の場だったバンクーバーと

半日でいいので

ハリファックスのマーケットにふらっと立ち寄ってみたい。


ファームでの日々は

今思い出しても流れるように過ぎ去った期間でありながら

意識せずに本当にたくさんのことを学んだと感じています。

10年経って、思い出の都市は この 2つをあげたいと思います。


でも 今後、最初に再訪問する都市で可能性が高いのは

トロントかな?

今現在カナダに唯一就航してるので。

202daysでは 私にとって他の都市に比べて都会すぎて

なじめなかったけれど、

仕事でふらっと訪れて町を歩いてみると、

あの頃に感じなかったものを受けとめることができると思います。


女の子が一人でスケジュールのない旅をするには

カナダは一番だと思います。

カナダだったからこそ、安全に、楽しんで旅を続けることができたと思う。

もちろん、この 10年のカナダを知りませんが(笑)

個人的には、あまり大きく変化していないことを望んでます。


ちなみにこれは、この10年、特に この 5年間に、

30カ国以上の国をのぞいた

今の私の経験からも言えることです。


カナダのほかに挙げるとすればオーストラリアかな。

町を歩いていて、旅行者への情報が多い設備が整っていることが

きままな旅を続けるには大切だと思います。

カナダ、オーストラリアは特に日本人向けの情報が豊かだと感じます。


カナダの日々は、もう口にすることもほとんどなくなったけれど、

人生の中でとても有意義な日々を送ることができたと思ってます。


もちろんそれは、帰国後の、仕事がない、お金がない、

急に日本社会にとけこめない、精神的な困難をなんとか乗り越えて、

今に至っているから言えることであって、

その後の 10年をなんとかやりくりできたのも、

やっぱりカナダでの日々が心のささえとなっていると思います。


改めて、カナダという国、人々、大自然からもらったエネルギー、

カナダのすべてに感謝しています。


そら

さぁ、"この日" がやってきました

そらの final step の日です


カナダ東部への旅 Quebecへ行く前の日 Sep13 '97 も

アメリカ周遊への旅 San Franciscoへ向かう前日の Nov21 '97も

こうして このイスで

journal and cards for my friends をしたけれど

ようやく今 "Dearest my friends" を封して

なおへのカード 6枚をテーブルに並べて

この jounal note の last page を last night にむかえています


今日も なおと Bay を少し歩いて

almost 7 months

いろんなことあったよなぁ って

長い 202days という期間を

ちっとも長いと感じないくらい かけぬけたよなぁ って思いました


この jouney で覚えた言葉

"Bye now"

って Engligh Bay に言って

デンマンst ロブソンst を通り

skytrain Main st を走って EAST 7th Ave. に帰ってきました

私が jouney の最初に眠ったお家

そして最後に眠るお家です


この jouney で学んだこと そらが一番よく知っているよね

あれもこれも いっぱいいっぱいあるけれど

全部全部生かしていきたい

自分を信じた 自分を見つめた 自分を好きになった 自分を大切に思った

この 202days を 1日も忘れないよう 自分をささえて生きていきたい


24歳にもなる私に "お金がなかったら送るよ"っていつも言ってくれた

お父さん お母さん ありがとうございます


誰よりわがままを言ってしまう sister

この jouney の 25days

つかれてた私のわがままをいっぱい聞いてくれてありがとう

ちょうど中間地点で たまってたものをぶつけてしまって

きっといやな思いをさせてしまったと気づいています

でも 最後までかわいく 笑顔でNYの空港を去った sister が

そらは大好きです


なお

Aug26 '97 バンクーバーの空港で

とっても力強い再会の Hug をくれました

5ヶ月ぶりの再会

エアカナダの飛行機から 1番に飛び出して

スーツケースを pickするなり走り出しました

"そらちゃん"

の 声とともに ガーベラのお花を持ったなおを見た瞬間

Canada に来たって実感しました


なおの Hug はとってもあったかくって

いつも旅で疲れてるそらを

心で体で welcome back してくれました

ありがとう

2人で talk, talk, over talk した会話は

そらの心がなおに なおの心がそらに

気持ちまで share できたね


そして 本当に日本にいても カナダに来ても

おいしいご飯を作ってくれてありがとう

目分量なのに どうしてなおの作るものは何でもおいしいんでしょう

いつもそらの心を読み取って

「そらっちぃー」

って smile 一杯で現れるなおは

そらの大切な大切な buzen friend です


離れていても ずっとそらをささえてくれた かおり

かおりの手紙を読むたびに どれだけ心がうれしくなったか

いつもいつも応援してくれてありがとう

「そらちゃんの便りで 私もがんばらないと、って思います。」

その一言が

いつも私をさらにがんばらせてくれました


そして きよみ

本当に私ときよみは 幼馴染だな って思いました

2人の間に連絡を取り合っていなくても どれだけ離れていても

会えばいつもの 2人になれるんだよね 私たちって


そらをささえてくれた そらの大切な家族 大切な友だち

ありがとう


カナダで出会った人たち

困ったとき助けてくれた人たち

smile をくれた人たち

ありがとう


アメリカ人が作った アメリカで生まれたものたち

ありがとう


そして

そらの心に残る感動をくれた大自然のものたち

ありがとう


そらの心にゆとりをくれた 海 紅葉 花

そらの目をさまさせてくれた San Diego の Beach

すべての大自然ありがとう


心をなごませる music と 何回見てもあきない movie

7ヶ月

何と多くのものを得

何と多くのものに気づくことができたんだろう


23歳で旅立ち 24歳をむかえたそらは

この 7ヶ月に負けない人生を まだまだ歩んで行きます


1998年3月16日

そら(^-^)